(21) 格安チケットの落とし穴 チュンズ

 1月22日、高知駅より6:20大阪行き高速バスに乗り込む。早朝寒い中見送ってくれる夫。
  14:20関空発CA928にて出国。今回は北京で乗り継ぎがある。17:20、北京首都国際空港に着陸。日本との時差は−1時間のため、現在16:20。空港内を移動し、トランスファーデスクでゲートを教えてもらって、搭乗券、パスポート、荷物チェックを受けて、順調に搭乗口までやってきた。しかし広い空港!機内のアナウンスで外気温は氷点下2℃と言っていたな。外に出なくてすむからよかった♪(と、このときまでは思っていた)。CA947は20:25発だから、19:55には搭乗開始、定刻に飛べば現地時刻の夜1:35にはデリーに着く。
 スィク教徒の特徴であるターバンを巻いた男性やインド色の強い家族連れが多い中、ひとり椅子に座って待っていると、周りの様子がおかしいことに気づいた。搭乗時刻なのにその辺にいた人たちがみんな、荷物を持ってぞろぞろと移動を始めたのだ。「いやいや、飛行機見えてるやん!」と窓の外を見るが、機内に乗客を迎え入れる気配なし。「あ、ゲートが変更になったのかー」と勝手に納得して列について行くも、どんどん国際線出発口から遠ざかり、シャトルにまで乗って何と正面入り口から外へ出されてしまった。チョット待って!さ、寒すぎるんですけど!というか、何故??
 結局この日に私たちの乗るべき飛行機は欠航、整備不良なのか悪天候のためなのかも知らされることなく(知らされてもそんな英語は聞き取れないが)、全員が大型バス2台に分けて乗せられ、ハイウェイを1時間走ったところにある市内のホテルに連れて来られた。2人じゃないとだめだと言われたので、その場にいる数少ない東洋人の中から日本人の1人旅の女の子を捕まえ、何とかチェックイン完了。翌朝4:30チェックアウト。化粧品の入った荷物は先にデリーへ飛ばしてあるので完全にスッピンのまま用意されたバスに乗って、7:00に昨夜と同じゲートへ戻ってきた。別段希望してなかったが北京空港内に詳しくなったぞ。問題がなければ8:00発の便に乗せてもらえるようなので、午後にはデリーに着きたいところ。今日予約しているホテルがジャイプルだから、下手するとキャンセルしてデリー市内に宿を取り直さなければならなくなる…。危うし。
 その後8時間のフライトを経て現地時刻の14:30(日本との時差は−3時間半)にはインディラガンディ空港に着陸したのに、臨時便のせいかなかなかゲートと連結されず、飛行機から降ろしてもらえないまま1時間経過。破格に安かったけど2度と中国国際航空なんて利用しないからな!と、ヤキモキした。
 入国審査を走り抜けてターンテーブルの荷物を掴み取って、グローバル携帯で連絡をとっていた現地パートナーの車へ飛び乗り、1時間ぶっ飛ばしてインド門近くのバス乗り場から16:00発のジャイプル行きに間に合った。ホテルには、「アイハヴリザベイション、マイネームイズジュンココマツ。アイウィルアライブアットアラウンドテンオクロック、バットプリーズキープマイリザベイション!」と伝えておき、何とか夜10:30には予約したホテルに辿り着いて、無駄なキャンセル料を払わずにすんだのだった。

12. 車のことなど 都築房子

 今の暮らしの中で車の果たしている役割はとても大きいと思います。しかし、ほんのちょっと前まで、私たちの暮らしの中に自動車は殆ど存在していませんでした。自転車の無い家も珍しくなく、少し遠くても皆歩くのが普通でした。たまに引っ越しなどでたくさんの荷物を移動する時は、大八車といって木製の荷車を借りて使っていました。実は私の家ではおじいさんがその荷車を貸し出す仕事をしていて、常時2、3台の荷車が並んでいました。家でお留守番をしていると、よく知らない大人の人が「車、貸しとうせ」と言ってきて、私はおじいさんに言いつけられた通りに黒板に名前を書いてもらったりしました。時々おじいさんがその車に油を注したり、具合の悪いところはないか調べたりして何時でもすぐ使えるようにしていたことが思い出されます。
 小学生の頃にオートバイが普及し始めて、私の父も仕事で乗り始めましたが、道路の状況が悪くていつもお腹に厚い腹巻きをしていました。また江ノ口川には手漕ぎの船がよく係留されていて、浦戸湾で投げ網や竿釣りの漁に出る人が使っていました。ちょっとした荷物はリヤカーや自転車の後ろの荷台で運ぶことが専らで、子どももお使いを頼まれると重い物でも自転車の荷台に括り付けてかなり遠くまで行きました。
 自動車は町内で2台しか無くお医者さんと会社社長の家にあって、運転手さんが白い手袋をして運転していました。道は狭くて今では一方通行しかできないほどですが、当時は乗物が走ることが殆どなく子どもには結構広く感じられました。もちろんその道はアスファルトなどで舗装されている訳ではなく土や石がむき出しの道でした。その道で埃まみれになりながら一日中遊んでいました。テレビで現在の中東や東南アジアの子どもたちの様子を見ると、まるで私たちの子ども時代のようです。