谷口貴子

 5年前から、ルル(長男)とヤヤ(長女)の成長日記のようなものを書いている。久しぶりに読み返してみると、子供達がものすごく成長したことにあらためて驚かされる。特に中学に入ってからのルルの変化は激しく、親の私はついていくのに必死だ。きっと本人も急な環境の変化に戸惑っていたりするのだろう。中学生というのは、いつでもどこでも大変だ。自分の中学時代を振り返ってみてもそう思う。
 ルルは昨年9月に学区内の公立中学に入学した。こちらは幼稚園3年、小学校5年制なので、11歳には中学入学となる。1学期は成績も素行も良くほっと安心していたのだが、2学期に入り中だるみがはじまった。その頃から、私はガミガミとうるさい親に豹変してしまった…。勉強できる子が良い子とは限らない、というのは頭でよく分かっているにもかかわらず、毎晩「宿題はやったか?」と息子にしつこくせまる自分にはっと驚き、宿題さえやってくれればなんとなく安心する自分ってどう?という疑問がわいてくる。親だってとても不安なのだ。
 しかし自分の高知での中学生時代を思い返してみると、日本は教育機関が子供に対して責任を持つ範囲がフランスと比べてずいぶん大きいと思う。放課後や学校休暇中のクラブ活動はもちろん、塾など、教育機関を信頼してレールに乗っていれば、親は安心して我が子を任せられるシステムになっている気がする。便利だと思うと同時に、妄信的でちょっと怖いなとも正直感じる。また、教師の責任の重みと拘束時間も相当なものだろう。どんな職種でも決められた労働時間と条件をしっかり主張するこの国では、あり得ない働き方だ。
 中学生の子育ても初めてなら、おまけにフランスだ。親の私はできる範囲でできることをやるしかない。そして、手探りの状態でも、本音で正面から息子とつきあっていくしかないと、決意のような自分をなぐさめるような、複雑な気持ちで毎日を過ごしている。
(15) サバィディー、ラオス 後編 チュンズ

前編4月28日より続く) お昼に入ったのは地元客の利用するのどかなラーメン屋だったのだが、多少ハエがいて野菜や生水もちょっと不安だったが、ちょっと食べてもたくさん食べても一緒だと思って全部美味しくたいらげた。食事後少し離れた織物の村「バン・パノム」へ。手織り布や袋を購入。
浅黒い金城くんは運転が上手だし、扇風機の向きをこちらへ変えてくれたりしてマメだし、何より目の保養になる。最後はホテルの前にあるスイカ寺を参拝してこの日の観光は終了。
部屋に戻ってハガキを書いてから昼寝。暑い国は体力を消耗する。むし暑くて汗も出るので、ミネラルウォーターをよく飲んだ。
16:00部屋を出てホテル周辺を歩いていると、民族衣装を着た女の子とすれ違った。「お、これは何かあるのかも」と思って、タキシードを着たウサギの後を追うアリスのような気分で彼女に着いていくと、ホテルから3ブロックほど離れた広場で少数民族の人たちが市場を開いていた。私ってばすごくラッキー。早速おばあさんの作品を数点買う。すごく手のいいお姉さんからバッグも買った。帰り道で庶民の市場があったのでのぞいてみた。異国の人々の生活に触れることのできる場所だ。英語のできるラオ人のお兄さんが、「どこに泊まっているの?」「いつ帰るの?」「滝には行った?」とにこにこ話かけてきた。自分の故郷のいいところを紹介したくなるのはどこも一緒なのだなと思った。
19:00今日は夕食のついていない日だということを忘れていた。でもガイドのタウィーさんが鶏肉のレモンスープとライスとネームチュンを注文してくれて、全部で100バーツで済んだ。明朝ははやいので21:00就寝。
 4月29日 5:00集合。後から来た日本人二人と一緒にこちらのお坊さんの托鉢を見学する。町の十字路にて待つこと30分。緋色の袈裟をまとったお坊さん、小坊主さんたちが歩いてくる。2〜14人くらいのお坊さんの列に、檀家の人たちが待っていて、男の人は立ったまま、女性は座って、炊いたもち米なんかを一握りずつ彼らの腰の籠へ入れてあげていた。
その後地元の朝市を散策。ラオコーヒー(コンデンスミルク入りお茶付き1杯2000キップ)を飲んだ。エアメール用に3500キップの切手を3枚買い、ダーラー市場を後にし、ナービアンカム市場前を通って船着場へと向かった。エンジンの着いた船に乗り、河を溯る。10:00に焼酎を造っているサンハイ村へ上陸。村のお寺見学。11:00また船で出発。11:20、16世紀にセタティラート王により発見されたといわれるパクオーの上下の洞窟を観光。洞窟内には寄贈された6000体もの仏像が。
12:10帰路に着き13:10元の船着場へ到着。お昼はカリフラワーの入った野菜炒め、酢鶏、トムヤムクン、卵焼き、河海苔を食べる。14:00ホテルに帰り、下痢止めの薬を飲んでから荷物をまとめる。
15:30チェックアウト。宿の子供ちゃんに、お菓子をあげる。
タウィーさんは他のお客さんを迎えに行ってしまったので、英語が喋れるパタナさんというガイドさんがついて来て「仕事は?家族は?名前は?ルアンプラバンはどうだった?独身なの?ベリーナイス!次来るときは俺を呼んでくれ。」などと言いながら空港で手続きなどを済ませてくれた。
荷物検査後、冷房の効いた部屋で飛行機を待っていると、ひとりの男性が話しかけてきた。日本語を勉強しているという。ひらがなを練習しているノートを手に持ち、英日辞典が手に入らなくて困っているというので、小さいのでよければ使っていないものを送ってあげるという話になった。手漉き紙のお土産をもらい、離陸直前まで原付で手を振りながら飛行機を追っかけて来た彼を、そのときはなんて熱心な日本ファンだろうと思ったが、旅行者専門の詐欺師であることが後に判明する。笑
書籍の少ないラオスで、そうやって誰かに贈ってもらった本を高値で転売したり、子供が病気なので病院にかかりたいんだけどなどと言って空港で捕まえたフレンズに送金してもらい、生活をしているようだ。いろんな生き方があるものだな。
<ルアンプラバン〜ビエンチャン〜高知> 17:07発空路ビエンチャンへ。飛行機の中で、隣に座ったラオ人女性が英語で話かけてきた。「日本のプリンセスも泊まったホテルに勤務しているの」という彼女に、私の英語力では到底太刀打ちできるわけがない。向こうが先に会話を諦めた。
空港で出迎えてくれた日本人新米ガイドのSくん20才。ビエンチャンに無事着いたこともあり、ほっとしてうっかりトランクを置き忘れてホテルに着いてから気づいた。「旅の思い出たちよ、さらば」と腹をくくったが、Sくんがすぐにタクシーで引き返して取って来てくれた。置き引きのない平和な首都空港に万歳。
19:30ホテル周辺の散歩へ。メコン川沿いを散策。並ぶ屋台やクラブというか、当時ディスコと思しき建物も。20:00ホテルに戻って用意されたちょっとフレンチ風な食事をしていたら、明日一緒に市内観光をするという超早口な日本人のタケダさんという人が現れ、ご飯を食べながら少しおしゃべりをした。夜中に激しいスコール。
 4月30日 昨夜の雨が嘘のように晴れ。8:30出発。今日はS君と、英語ガイドのカンパーントさんが補助について来ていた。ビエンチャン最古の寺院ワットシーサケット(本堂と回廊の壁を合わせて6,840もの仏像が安置されている)→中庭にジャール平原から運ばれた石の壷があるワットホーパケオ→ラオス仏教の最高の寺院タットルアンを観光。ランサン通りにあるパリの凱旋門を模して造られたアヌサワーリーを見て感激。父の本棚にあった「ラオス」の本に、同じ風景の写真が載っていたなぁ。中でラオビールTシャツを100バーツで購入。その後、タラート(市場)でCDを1枚買う。お昼はレストランでビュッフェ。タケダさんとはここでお別れ。
13:00出発。メコン川沿いを24キロ。車窓にラオビールやペプシの工場、タイラオ友好橋などを見つつ35分くらい走って仏教の世界観をコンクリートの仏像や建物で表したテーマパーク「ブッダパーク」に到着。広い敷地内には岡本太郎レベルの奇妙キテレツな造形物の数々。「ヘブン-ヘル」の中に入ったときわざわざ下から写真を撮ってくれようとしたカンパーントさんが、誤ってカメラの蓋を一瞬開けてしまった。彼は申し訳ないと心から謝ってくれたし、思い出に残るからいいや、と思ってそれ以降カメラなしで公園内を見てまわった。
15:30ホテル到着、一休み、荷物。18:00チェックアウト。15ドルのデポジットが還ってきた。
Sくんは次の仕事に向かい、カンパーントさんと空港へ向けて出発。バンコク行きの飛行機に乗る。あっという間の1週間。たくさんの新しい世界を見ていろんな人々と出会い、またひとつよい人生経験を増やすことができた。21:00ドンムアン空港着。もう少しでいつもの生活に戻る。
 5月1日 0:00大阪行きに乗り換え。9:35関空着。高知行きの飛行機に乗り12:00帰宅。後日諦めていたフィルムを現像したら、ありがたいことに写真はほぼ無事だった。(おわり)