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  「世界の紙、布、土、と現代美術」12人展1999年12月15日〜26日・福井県武生市・紫式部会館



  
  個展(10月1日〜12月26日・高知・奥物部美術館)


  T・E・A・M アジアの紙と現代美術 韓国展11月6日〜21日・韓国釜山・トンベクアートセンター


Tongbaek Art Center

 平素、釜山市民が気軽に美術に触れ鑑賞する場をと、1992年4月にオープンしたトンベクアートセンターは、広くて品格のある展示空間を備え、国内外有名作家の作品が常に展示されている。
 特に'97年東アジア競技大会、2002年ワールドサッカー大会など世界的な行事を前に、釜山を訪れる大勢の観光客に地域文化と世界文化が同時に触れられる機会を作ると共に現代美術の理解を促すため多様な展示が企画されている。(月刊「釜山」観光案内地図VOL.3,NO.11)
 

  T・E・A・M 日韓交流展に参加して

   私はいつも「作家は作品を通して、時代に対して発言していかなければならない」と思っています。

   今回のT・E・A・M 展でも、そのことを強く意識した作品を発表しました。

   また、レセプションでの挨拶でもそのことに触れました。

   韓国側の作家の1人に、私の作品は日本的でないと言われましたが、それは嬉しいことだと思います。

   日本は韓国に比べると政治的緊張もなく、不況とはいえ、かなり経済的にも恵まれています。

   この、ぬるま湯的な状況の中で、真に重要な仕事をするためには強い意志を必要とします。

   韓国作家のテンションの高さと、客人である我々に対して精一杯のもてなしの気持が熱く心に残りました。

   本展のタイトル「Good Morning Millenium」まであと少しとなりました。

   1999年も、もうすぐ終ろうとしています。



  国際丹南アートフェスティバル’99東京選抜展−素材と表現−
    (9月25日〜10月2日・東京・ギャラリースペース21)



  高知県展(9月23日〜10月4日・高知県立美術館・作品「封印」出品)


  個展(1999年8月・高知・アトリエ倫加)

欲望の世紀といわれる20世紀の後半を生きてきたわたしたちは
この結末をどのようにつければよいのか。
残された時は少ない。

千年紀を記憶 次の時代へ(高知新聞 99/08/20)

 南国市在住の立体作家、郡築房子の個展「Memorial・1999・わたしたちの時代」が、高知市帯屋町二丁目のアトリエ倫加(088・822・1146)で開かれている。二十二日まで。
 都築は一つの千年紀(ミレニアム)の終わりの今年、五十歳になった。一九九九年は個人的にも節目の年。これまで数字をモチーフにした作品がなかった都築だが、今回はこの特別な数を取り入れた。
 一辺が二十?に満たない立方体の木の箱に、金属の数字「1999」が入っている。箱は全部で十八。中にコンクリートや何十枚も張り合わせて固めた和紙、蝋(ろう)などが入り、数字の土台となっている。そして、それぞれに「記憶・海」「封印・砂」などのタイトルがある。和紙の重なりが記憶をイメージし、コンクリートの塊は封印を意識させる。
 都築は透明なアクリルでこれらの箱にふたをして、中が見えるようにした。一つの千年紀を記憶にとどめ、次の時代を生きようとする考えだ。
 和紙や写真などを組み合わせた七点のコラージュは自然をうたい、「わたしたちの時代」という題が通してつけられた。太古から続く自然とともに、私たちは次の千年紀を迎えるのだ。 (S)


  ☆国際丹南アートフェスティバル’99展(1999年8月・福井・武生市民ホール&日野川河川公園)


 個展(1999年6月・大阪・信濃橋画廊)

 

 何もない壁から、突然湧き出してきた“ねずみ”たちは次から次へと現れては部屋を走り抜けて、反対側の壁をよじ登っていく。
 空間の高みから、救済者となった“Mother”の魂は、ただ為すこともなく彼らを見下ろしている。
 このような情景がギャラリーの空間につくり出された。
 次に為すべきことは、“ねずみ”を解剖して体内の種子を取り出すことである。


  ☆T・E・A・M 展(福井市美術館にて作品「LIFE」出品。6/26〜7/4)の報告

  6月25日に「T・E・A・M アジアの紙と現代美術」の日本展の搬入に行ってきました。
  会場は福井市美術館です。日帰りで高知⇔福井はさすがにきついです。
  しかし収穫はありました。

  この展覧会は、日韓交流展なので、韓国の作家がたくさん(10人くらい)来ていました。
  そして、その若い作家たちは、たいへん意欲的で高い意識レベルで仕事をしていました。
  それに比べると、日本の作家たちは(私も含めて)キャリアは長いけど、主張が弱く、
  今という時代に対して、曖昧な表現しかできていないと思われました。

  あらためて、作品とは何か、何のために作品を創るのかという事を、真剣に考えさせられました。
  そのことが、私にとって大きな収穫でした。


  高知市展(1999年6月・高知・高知県立美術館)

 


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