声のフリーペーパー「らいぶらりこ通信」発刊! らいぶらりこ通信手

らいぶらりこ通信は、いろんな思いや情報を伝えあう交流の場です。高知県立図書館と高知市民図書館の新しい形について考えようと、図書館好きの有志が集まり、通信を発行しています。

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井関さおり

10月の連休、一泊二日で瀬戸内国際芸術祭を見に行ってきました。瀬戸内海の7つの島々で作品展示やイベントを行い、アートを軸に瀬戸内を盛り上げるプロジェクトです。

とにかく混んでました!主催者の入場者数の見込みは30万人でしたが、なんと私が行く時点ですでに60万人を超していたそうです。その後80万人突破との情報も。
私は1日目小豆島、2日目豊島、のプランで行ってきましたが、出発の高松港ではフェリーの切符売り場から人がはみ出てくるほど並んでおり、2日目の豊島行きの船は定員オーバーで乗れず、一時間ほど後のフェリーにようやく乗れるという事態に。
特に豊島内は非常に混んでいて、待ち時間が長いため入れなかった展示がいくつかあり残念でした。
しかしそれだけ沢山の人がいる状態を観察するのはおもしろいものでした。老若男女、年齢も幅広く、半袖の人からファー付きブーツの人、島のおじいちゃん、いかにも都会的ファッションの人、様々な人がごっちゃになっていました。

豊島へ向かうフェリーでは、甲板ではしゃぐ私たちに船員さんが話しかけてくれて、なんと操舵室に入れてもらいました!高性能の双眼鏡を見せてもらったり島のみかんをもらったり、ずいぶん親切にしていただいて、作品鑑賞より盛り上がった時間でした。
今思えば、行った先々全部でとても親切に対応してもらっていました。島のかた全体が受け入れに熱心だったのだと思います。船員さんが「ふだんはお客が8人くらいの時もあるよ」と言っていたので、この芸術祭で島々はかなり活気づいたようです。

見られた作品は予定より少なく残念でしたが、島の自然と文化をじわじわ感じながらの鑑賞だったので、美術館へ行ったのとはまた別の満足感がありました。
展示に空き家を使ったものが多かったのですが、どれも「不在」と「高齢化」のイメージを「再生」と「歴史の再認識」に持っていく意思があり、良かったです。一つの作品にたどり着くまでけっこう歩かないといけなかったりしてなかなか大変なので、誰でもが楽しめるものではなかったかもと思います。
でも「この場所だからこそ」という作品ほど記憶に残りました。今回は「作品鑑賞をする」だけではなく、「作品鑑賞を通して土地固有の文化・記憶を考える」体験でした。

「今、生きている自分たちの視点から見えてくる事」に取り組む現代美術という形と、島々の歴史と文化が上手く手をつないでいたので生まれた面白さだったと思います。
「鑑賞」だけでなく「レジャー」だけでもない、「深い楽しみ」が得られる旅でした。

その2 都築房子

 9月19日は連休の中日で渋滞が懸念されていたので、できるだけ早く出発したつもりでしたが、岡山で早くも渋滞に巻き込まれてしまいました。そこで予定より手前で北に進路を取り、岡山道・中国道・舞鶴自動車道と進んでいきました。舞鶴道を下ってしばらく一般道を走り、敦賀から北陸道へとつながります。北陸道に入ると、サービスエリアのトイレの表示が日本語と英語に加えて、中国語と韓国語もあってちょっと驚きました。日本海を見ながらさらに北上し、石川県・富山県・新潟県と次々に走破していきましたが、PM8:30に新潟県燕三条市のホテルに到着した時はさすがにヨレヨレでした。朝から14時間以上車に乗りっぱなしで本当に疲れていました。しかし、ここまででまだ旅の中間地点です。
 翌日、再び早朝より車で走り出し、長い長い新潟県を走り抜けると高速道路は途切れていて、山形県側では一般道を酒田目指してひたすら走り続けることになりました。そして目的地の土門拳記念館に到着できたのはお昼すぎでした。そこは広い公園のようになっていて、様々な文化施設や運動場などもあり、多くの市民が休日を楽しんでいました。たくさんの幼児たちがサッカーをしていて、とてもほほえましい光景でした。その一角にモダンな記念館があります。重厚でシャープな建物は、丸亀市の美術館よりさらに研ぎすまされた印象でした。その中でリアリズム写真の鬼といわれた土門拳の写真が静かにたたずんでいる様子は、心洗われるものがあり、ここまではるばる来たかいがあったと思われました。しかし、そこにあまりゆっくりはできず、次の宿泊地の上越にむけて引き換えさなければなりませんでした。その日のPM7:00にホテルに到着するためには、また長い長い一般道を走って、新潟県から高速道に上り、さらに分岐から上信越自動車道に入る必要がありました。(つづく)