その1 都築房子

 私には、以前からずっと気になっていて、一度訪ねてみたい場所がありました。それは山形県の酒田市にある、昭和を代表する写真家・土門拳の記念館です。彼の写真はもとより、その館の建築にもとても興味がありました。設計者の谷口吉生氏は、香川県・丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館も手がけた人で、どちらもすばらしい建築物です。写真では見たことがありましたが、何とか本物を見てみたいという欲求がつのり、ついに私たち(写真の仕事をしている夫と二人)を山形への長距離ドライブへと動かしました。
 出発までの準備として、まず地図でその行程を確認してみると、なんと高速道路がつながっていなくて、結構長い距離を一般道路で走らなければならないことに気付かされました。以前、石川県・金沢市までは車で行ったことがありましたから、そのままどんどん北上すればそんなに大したことではないと高をくくっていましたが、このことでちょっと不安になり始めました。あらためて地図を見ると、金沢から先の距離がとんでもなく長く見えて、どんどん不安がつのってきました。それで1日目の宿泊場所ができるだけ遠くになるまでがんばって走ろうと言うことで、新潟県の燕三条市のホテルに決めました。基本的に夜はあんまり走らないようにしようと考えていたので、チェックインをPM7:00に設定して、9月19日AM6:00に南国市の自宅を出発したのでした。(つづく)

17. 体育の時間 都築房子

 これは私が小学生の頃の思い出の中で、今でも少し胸が苦しくなるような出来事の1つです。私たちの子どもの頃は皆貧しかったのですが、その中でも特に貧しい暮らしの子どもたちがいました。同じクラスの中で、体育の時間の前になるといつも体操服に着替えるのが遅くて、他の皆が運動場に出て並んでいるのに、まだ教室でぐずぐずしている同級生がいました。
 私たち同級生の女の子たちは皆、なぜその子がそんなに遅いのか、そのわけを知っていました。その子の家は最も貧しくて、女の子なのにお兄さんやお父さんのお下がりの下着を身につけていました。しかも、それはボロボロで、とても同級生の前で見られたくないようなものでした。だから、その女の子は皆がすっかり着替え終わって教室から出て行くのを待ってから、誰もいなくなった教室でこっそり体操服に着替えていたのでした。ところが、そのことをほとんどの子どもたちは知っていたのに、担任の先生は全く知らなくて、その子が一番後から遅れて運動場に出て来る度に、その子を叱りつけていました。その子のせいではないのに、どうして先生は気が付かないのかと子ども心にも腹が立って、よっぽど先生に言ってやろうかと思いましたが、その子が懸命に隠しているようなので、やっぱり言えなくてとてもくやしい思いをしていました。
 さらに、その子はお昼の時間になると、いつも教室から出ていなくなり、給食が終わる頃に戻って来ていました。きっと、給食費が払えずに食べていなかったのではないでしょうか。
 今、小学校では運動会のシーズンで、皆元気いっぱいに駆け回っていますが、50年ほど昔の小学校にはこんな子どもたちがいたことを忘れることができません。今でも、その子のために何かできることがあったのではないかと自問自答しています。