現在、電話というと皆がすぐに思い浮かぶのが携帯電話のことだろうと思います。しかし、昭和の30年代には各家庭に固定電話すらないのが普通でした。映画「となりのトトロ」で主人公のサツキちゃんがお父さんのところへ電話をかけるシーンがありますが、まさにあの通りでした。私は町中に住んでいましたので近くのお店屋さんに電話を借りに行き、こちらの番号と相手の番号を告げて電話交換手の人にそれぞれの電話をつないでもらい、それでやっと相手先に電話がかけられる状態でした。ですから、よっぽど緊急の場合に限られていて今のようにちょっと話がしたいなどという理由で電話をかけることはありませんでした。そして、今よりずっと日常的だったのが電報です。急ぎの用がある時はまず電報を打つことがよくあり早朝や夜中にドンドンと戸を叩く音に続いて「電報です」という配達員さんの声に子ども心にもドキドキしました。今は各戸に電話があり、個人は携帯電話を持ち歩きEメールやFAXが普及していることを思えば隔世の感があります。当時の高校生などは、友人と遊びに行く時も電報で連絡し合ったということです。 それから当時は大人も子どももよく手紙を出していたように思います。葉書は季節の挨拶にとどまらず、時々の気持ちを伝えあう大切なツールでした。相手に伝え足りない気持ちがある時は1日に何度も葉書を出したという話も聞いているくらいです。やがて、中学生になる頃に徐々に各家庭に電話が普及しだして、それが当たり前のようになっていくまでそんなに時間がかかりませんでした。そしてさらに個人と個人をつなぐ携帯電話の爆発的な普及があります。これらの変化は一体何を生み出してきたのでしょうか。今は意思を伝えあう手段が多くなった分お互いの気持ちが薄くなり、本当のコミュニケーションから遠ざかっているような気がしてなりません。このような便利な道具を本当に使いこなせるようになるためには、まだしばらく時間がかかるのかも知れません。