森田優子

2007年の11月16日に3025gの男児を出産しました。
3月の半ば頃に妊娠がわかってからは、きつい「つわり」に涙したりもしましたが、自分の体調とお腹の赤ちゃんを大切に思いながら過ごし、長くもあっという間の十ケ月でした。
16日の早朝、お腹が痛くて目が覚めたのですが、数日前から便秘だったのでてっきりその痛みだと思い、しばらく陣痛だと気づきませんでした。
どうも定期的に痛みがくるなぁ〜と思った途端、「はっ!これが陣痛か!?」と気づき、慌てて支度をし、緊張しながら夫と一緒に病院に向かいました。
長い闘いになるだろうと覚悟していましたが、出産まで10時間でした。始めの方は余裕でメロンパンをパクつきながらお喋りしていましたが、だんだんと痛みが増すにつれもう言葉になりません。
助産師さんたちに「あともうちょっとよ!がんばって!」と言われてからが長かったこと。
待ちに待った我が子と対面したときは思わず「やっと出たー!」と叫んでしまいました。無事に出産できてほっとしました。
立ち会った夫は女性の強さと、医師と助産師さんの仕事ぶりにとても感動したそうです。私自身も信頼できる医師にまかせられたことや、夫にそばにいてもらって安心して出産できました。
その後は母子ともに順調に過ごしています。赤ちゃんの表情がくるくる変わるのが面白くてかわいくて、楽しんでいます。
これから子育てでたくさんの壁に当たるだろうと思いますが、親として少しずつ、子供と一緒に成長し、学んでいきたいと思います。
造形教室でたくさんの子供たちと触れあった日々が私に励みと少しの余裕を与えてくれています。あの頃の子供たちも、ずいぶん大きくなったでしょう。子供の成長は早いですね!
我が子を毎日見ながらもそう思います。これから楽しみです。

ラーラ

 『ヒロシマナガサキ』という記録映画の中で、「8月6日が何の日か、知っていますか」と聞かれた東京の若者たちは、みな首をかしげていました。高知県でもそうなのでしょうか。
 はだしのゲンは小学2年生のとき、原爆を落とされた広島の、地獄のような光景を見ました。原爆で父、姉、弟を亡くしたゲンは、作者中沢啓治さんの分身です。中沢さんは「よっぽど衝撃が強かったんでしょう、もう記憶はばっちり残ってるんですね。だからもう、鮮明に。あのセット作れと言われたらそのまま作っちゃいますよ」と語っています。
 週刊誌連載中から投書の山ができたという『はだしのゲン』は、1975年以降10巻の単行本になりました。
 『ヒロシマナガサキ』を撮った日系3世のスティ−ヴン・オカザキ監督も、『はだしのゲン』を英訳で読んだそうです。原爆のむごさ、戦争の理不尽さを、ゲンやまわりの登場人物たちが叫んでいます。
 「ううう むごいよ むごいじゃないか」
 「戦争と ピカの一発の ために あたしらは いつまで 苦しみつづけるんだ」
 「ひとにぎりの 金持ちのために 戦争なんか してはいけない」
 「まじめに 一生懸命 はたらいて 生きている 人間が 大事にされる 世の中に 
  ならんと いけんわい」・・・
 『はだしのゲン』は、単行本化されてからでも32年も経つのに、毎年版を重ね、広い年齢層に愛読されています。
 子どもたちだけでなく、大人の心もとらえて離さないまっすぐな表現が、いまだに実現していない「核のない平和な世界」という人間らしいテーマに直面させてくれるからではないでしょうか。