ラーラ

 東洋町住民の6割以上のみなさんで提出した、高レベル放射性廃棄物最終処分場に応募反対の請願書を審査する場で、田嶋裕起町長が独断で「応募した」と発表したのは1月25日でした。
 翌26日、原子力発電環境整備機構(NUMO)は応募書を受けつけ、いま文献調査開始に向け、国への申請書を準備している段階です。
 一方、東洋町以前にも、旧佐賀町、津野町、旧土佐山田町で同様の核のごみ捨て場問題がわき起こり、住民や議会がくいとめてきました。というのも国は、1980年代に業者を使って、高レベル放射性廃棄物を埋め捨てにする候補地を探して全国を調査しており、高知県には分かっているだけで19地区もの候補地があるのです。
 貧しく、過疎で老人が多いからといって、危険な核のごみ捨て場にしてしまおうというのでしょうか・・わやにせんとってもらいたいです。危険でなければ、一番電気を使う東京の、国会議事堂の地下にでも埋め捨てにすればいいではないですか。
 地方自治体が貧しくなる政策をつづけ、にっちもさっちもいかない状態をつくっておいて、4月から文献調査段階2年間で最大20億円の交付金をちらつかせ誘惑するなんて・・しかも、住民や議会が反対しても、町長が手をあげると「大歓迎」とにんまりした経済産業大臣。この国は、いつからこんな民主主義に逆らうおかしいことを平気でするようなったのでしょう。
 全国で初めて、こんな手にまんまと乗せられ、カネに目をくらませ、高知県の未来のいのちと生活圏を売り渡してしまうなんて・・・
 いまこそ高知県民は、なめたらいかんぜ!!と本気で怒らなあいかんと思いますが、みなさんは、どうお考えですか?!

(3)スポンサーシップ 原 禎子

先日、及川光博のワンマンショーに行って来ました。
そう、ミッチーです。彼のライブに参加するのを楽しみにし始めてかれこれ丸9年が経ちます。
メディアでは随分イロモノ扱いされることが多かった(今も?)彼ですが、彼のエンターティナーとしてのプロ意識の高さ、ステージの完成度の高さ、彼のアーティストとしての魅力は、筆舌に尽くしがたいものがあります。
私が彼のことを知ったのは、まだ今の仕事の勉強すら始めてなかったころでした。
そのころ勤めていた事務所の有線放送から流れてきた「言葉よりも確かなもの。肉体よりも曖昧なもの。」というフレーズで始まる曲に胸を鷲づかみにされた気がして、久しく立ち寄らなかったCDショップの邦楽コーナーを覘いたのが始まりでした。
「言葉よりも確かなもの。肉体よりも曖昧なもの。」けだし名言だと思います。嘘をつかない「身体」を扱わせてもらうようになった今、さらに、人間が曖昧でいられることの価値を改めて尊く思うのです。
皆さんは、この二つの隙間に何を感じますか? 何を望みますか?
さあ、皆さんCDショップに急ぎましょう。文中の作品「フィアンセになりたい」が入っているアルバムは「嘘とロマン」初心者ベイベーにお勧めは「欲望図鑑」そして4月11日に新しくリリースされるアルバムは「FUNKASIA(絶賛予約受付中!!)」
え??なぜこんなにもお勧めするのか?
皆さんに彼のよさを知ってほしい?…もちろんそれもありますが、彼がよりメジャーになることで、ステージのクオリティーがさらに上がり、私がもっと楽しめるようになるから。フフフフフ。
感銘を受けたアーティストを買い支えたり、正当な評価を受けるよう応援するのも、立派なスポンサーシップですよね? 都築先生。
   井関さおり

皆さん図工の授業は好きでしたか? 2005年の文科省アンケートによると、図工の好きな子どもは多くても、図工を「重要だ」と思う保護者の方はあまり多くないようです。
以前は小学校高学年で年間70時間あった図工の時間ですが、今では3割減の50時間となってしまっているそうです。そして今ゆとり教育の見直しによって、さらに図工の時間が減らされるかもしれない、という状況にあります。
その流れに対抗して、アーティストや工学系研究者による『がんばれ!図工の時間』という名の活動が始まりました。図工の魅力を見直すシンポジウム、ワークショップ、署名活動などがあり、最近TVや新聞等にも取り上げられています。私は2月9日の『とくダネ!』で紹介されているのを偶然見ることができました。
そこで紹介された西門司小学校では、全校あげての図工教育によって、子どもたちにお互いを認め合う感覚が育ち始めた、ということでした。図工(美術)には「正解」がありません。「だからこそ、それぞれの良さを見つけて褒めてあげられる。それがお互いを認め合う気持ちに繋がるのでは」と担任の先生が語っています。
よくある「これが一体何の役に立つの」という問いかけは、「役に立つ」を「有益性」「換金性」と捉えている視点から出てくるように思います。
私は教室の仕事を通じて、絵を描きものをつくることの面白さ、その目に見えない価値を感じてきました。頭の中にあったものが形として立ち上がる面白さ、作品と向き合う事で自分の内面と向き合う事、自分では思いもよらない他人の発想を見つけ分かち合う事など、ひとくちに言いきれない良さが図工・美術にはあります。一見「役に立たないこと」と思われがちですが、このようなことは後々必ず生きてきます。格差の固定が懸念される今、公教育の場でこそできるだけ多くの子どもたちにその面白さを感じてほしいと思います。

『がんばれ!図工の時間』のURLはこちらです。署名もこちらから!