(2)症状の功 原 禎子

 やっぱり、仕事の取り掛かりは、こんな晴れた昼間に限ります。雨だと気分が乗らないし、夜だと眠さに負ける。国吉先生からの、控えめな、しかし鬼気迫る(笑)原稿催促の電話がかかってきたのが、雨降りの日だったら、きっとこの原稿への取り掛かりはさらに先延ばしにしてたんだろうなあ…。ということで、国吉先生、今後とも晴れの日の催促をよろしくお願いいたします。
 言い訳はさておき、人間の体のシステムは、上記の私のようにいたって単純であります。雨の日はゆったり過ごしたいし、晴れた日は活動的になる。朝が来れば目が覚めるし、夜になれば眠くなる。
「イエイエ、私は晴れの日だって活動したくないし、夜になったって、ナカナカ眠くならない。」
 そのような方。最近多いのです。そして決まって、こう聞かれます。
「私、どこが悪いんですか?何がイケナイんでしょう?」
 どれ、何がイケナイんでしょう?食生活?自律神経?ホルモンバランス?骨格の歪み?もちろん、さまざまな乱れはあります。しかも、どれか一つということはありません。けれど、別に何もイケナかぁありません。ただ「現在そういう体調である。」というだけの事。そして、現在は過去の積み重ねの現われでもあります。つまりは、重ねて来た分のさまざまな乱れが、今に在るだけなのです。むろん、傾向は有ります。不調が呼吸器に出やすい人、消化器に出やすい人、はたまたetc.…。それが、俗に言う「体質」ということになるでしょう。とても単純で、すこぶる雲をつかむようですね。
 話は変わるようですが、皆さんは、大きな仕事が一区切りついた途端、大風邪を引き込んでしまった経験はありませんか?「張ってた気を抜いたから。」では、ずっと気を張っていたら、風邪にも病にも縁が無いのでしょうか?多くの人は、知らず知らずの間に無理を重ねているものです。成し遂げたいことや、せねばならぬ事に、気も身も張って取り組んだり、その際に出てきたネガティブなモノを、押し殺したり、何とかポジティブに持って行ったり。そうした頑張りの積み重ねが、まけまけいっぱいを超えたとき「症状」という姿を借りて、持ち主にメッセージを発しているわけです。さあ、どこが悪いでしょう?何がイケナイでしょう?たしかに症状自体は苦痛を伴います。けれど、どこも悪くないのです。とても賢い身体なのです。その時点で「症状」というメッセージに耳を傾けていれば、自分がいかに頑張ってきたか、どこに無理が有ったのかに何かしら気づけると思うのです。そのチャンスを棒に振り、症状を消し去るのに躍起になっても、「症状」はダダをこね、ますます力強くその場に居座ることでしょう。「あー、いまいち調子が出ないな」そんな際「症状や原因をやっつける」という考えを手放し、「今まで頑張ってくれた自分に敬意といたわりを伝える」気になり、休息することができれば、少なくとも今までよりは、楽にしのげそうに思いませんか?ひょっとしたら意外な効果のおまけもあるかも。
 あ。そうそう「いたわる」事は「なまける」事と=ではないですからね。悪しからずご了承ください。
 一日の施術を終え、一息つき、改めて原稿に向かい、今は深夜2時を回ったところ。襲い来る眠気にも負けず、キーボードに向かう私。このように人体とは、単純なシステムを脇に置いた上で、踏ん張りの利く、複雑で強靭(?)なものでもあります。あー、よく頑張った(笑)
ラーラ

 「高知県に、原子力発電所のごみを再処理した、きわめて放射能の強いごみを埋め捨てにしたら、カネあげるよ」とNUMOが声をかけていたことが明るみにでてから、3ヶ月がたちます。
 幸い、津野町は、周辺自治体がそろって反対したし、住民も「そりゃあ、どういうことになっちゅうろう??」と住民の会をつくり、放射能のごみと背景にある問題を学び、映画を上映し、強力な長老たちの動きもあって、10月30日に津野町長は終息宣言をしました。(拍手!)
 ところが、東洋町の場合は、周辺自治体はひっそりと静まりかえっています。うわさでは、資源エネルギー庁という国の役所が、周辺自治体に対して「静観していてほしい」と釘を刺したとか。それが本当なら、津野町での失敗をくりかえさないように作戦をねって、住民の動きに圧力を加えたことになります。お隣の室戸市では、11月19日に市長選挙があって、はじめのうち「優勢」とされていた候補が、開票のふたをあけると惨敗でした。ウラでカネが動いたのでは・・・という噂がしきりです。だいたい、カネさえもらえりゃ何でもする、というのは人間としての誇りがない証拠です。
 でも、この世の中、福島県知事、和歌山県知事、相次いで汚職がばれてしまいました。宮崎県知事だって危なそうです。県民がいいと思って選挙で選んだひとがこのありさまです。もっと言えば、国会議員として、国民に選ばれたはずの、私たちの幸せを実現してくれるはずの政府の面々は、私たちの暮らしを悪くするばかりではないですか?
 なぜ、黙っちゅうがやろ。なぜ、かんけ〜ないって顔でおれるがやろう、この国に住むみなさんは。
 憲法前文には、「主権が国民に存することを宣言し、・・そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、・・その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、・・・」とあります。この理想と現実の落差には、情けなくて涙がこぼれます。
 ほんとうの民主主義を実現するために、東洋町の生見海岸にやってくる若者たちが立ち上がりました。「反対も推進も関係ない、みんなあで本当のことを知らなあいかん!」情報のない人間は、考えることも、判断することも、行動することもないからです。奴隷のままです。