8月末のハリケーン・カトリーナの直接的な影響は、私の住む地域にはありませんでした。ただ、ハリケーンシーズンに入ってからのガソリン不足が深刻になってきています。高波でタンカーが近づけず、高値になってしまうのはしょうがないのですが、スタンドにガスが無いのは公共の交通機関の無い住人にとっては非常に厳しい状況です。幸い、我が家は通勤にそれほど時間が掛からない上に、二台とも車自体の燃費の良さがあってガソリンがある時に給油をしていれば大丈夫です。 ニューオリンズの被害については、誰が責任を負うべきだったのか、何がこれほどまでの悲惨な状況を生んだのかが、連日報道されています。主人は救助隊への銃撃など同じアメリカ人として情けない有様に、最近では朝のニュースは見ないようになってきました。 同じ、ゴルフコーストに住んでいる私たちにとって、今回のハリケーンは人事ではありません。去年はハリケーン・アイバンが隣の市にひどい被害をもたらし、まだ完全復旧できていない状態です。家から50mと無い場所にあったガソリンスタンドの屋根は飛び、そのまま閉鎖されました。 ですので、この地域は各自、数日分の水・非常食をハリケーンシーズンには備え、天候チャンネルを見て避難先を二、三日前から確保するのは当たり前になってきました。実際、我が家も窓を板で覆い、写真や保険証書などを車に詰め込んで、今年に入って二度避難しました。 今回のことを書き始めると、やるせなさばかりがこみ上げてきて来てしまいます。私は避難勧告でなく命令を出さなかった事、そしてニューオリンズの人々に無かった危機感がこのひどい状況の背景にあると思えてなりません。ただ、誰かを責める事は誰にでも出来るので、一日も速く少しずつ良い方に向かっていけるように願うばかりです。
『エリコの丘から』(著者:E・L・カニグズバーグ / 訳:小島希里 / 出版社:岩波少年文庫) たいていの場合、何かになることが、人生の初期、大人になるまでは、とりあえずの目標ではないでしょうか。自分にそれだけの技量があるかどうか、そしてそれだけで足りるのかどうかもわからないままに。芸術的な才能を必要とするのなら、それが叶えられた場合、あなたにとってちょっとした才能はあって当たり前、練習では身につけられない力を、すでに持っていたことになります。しかし、たとえ、なりたかったものになれたとしても、その状態を保ちつづけるためには、才能以外の何かも必要になるのでしょう。 今は亡きかつての映画女優、演技派のスターだったタルーラと知り合ったジーンマリーと、友人のマルコム・スー。マルコムは、ジーンマリーが「クローン人間」と呼んでいる同級生たちとは違ったつながりを感じている唯一の友人です。 タルーラの住んでいる場所は、ジーンマリーが名付けた「エリコの丘」の地下にあるらしい、「ラハブの宿」という秘密の部屋。二人の子どもたちは、タルーラに呼ばれ、彼女の探偵となります。タルーラが死んだときになくなったという「レジーナの石」という宝石の行方を追いながら。そして、ラハブの宿へ招かれる時間をこよなく大切に思い始めます。普通の大人とはまったく違う、奔放で個性的で厳しくて優しいタルーラ。彼女の昔の仲間たちのもとを訪ねる旅を楽しむ時間をも、二人は体験します。 いつか大女優になりたいと密かに願うジーンマリーと、論理的な大科学者になりたいマルコム少年。スターになるために必要な三つのもの、二人はその答えを、レジーナの石とともに見つけました。このファンタジーは、著者の描く他の現実世界の物語以上に、人生の核心を突いてきます。「才能」や「夢」が人生の目的となっている種族の人たちにとって、その両方を手にしたタルーラと著者からのメッセージは、熱くて痛いものとなるはずです。