ラーラ

 県展立体作品会場の中央に天井からつりさげられた一対の枝肉。若い牛と老いた牛だったのでしょうか、やわらかそうな明るい肌色の枝肉と、くたびれた斑のある暗い肌色の枝肉と。どちらからも血のしずくがしたたり落ちています。きっと、まだ殺されたばかりなのでしょうね。
 みなさんは、都築房子さんの作品“BODY as LIFE”を、どうごらんになりましたか? 私は、“BODY as LIFE”、すなわち「いのち奪われしもの」からの問題提起、とうけとめました。
 ひとつは、「わたしたちのいのちを奪わないと、あなたは生きていけないのですか?」という牛からのメッセージ。日本では毎日5000頭の牛が、アメリカでは毎日10万頭ほどの牛が、食肉用に殺されています。殺されると予感した牛は大暴れし、やがてあきらめて悲しい目をするそうです。殺される直前の七面鳥の表情を撮った写真「五分まえ」が隣の写真会場にありました。他者のいのちを奪うことに馴れてしまった人間と、理不尽にもいのちを奪われる動物たち。牛枝肉を、和紙、布、竹ひご、赤い糸で造形していることに、都築さんの痛烈なメッセージ性を感じました。
 もうひとつは、「アメリカ産牛肉の輸入などBSE問題をどう思いますか?」という社会的メッセージ。そもそも日本人は農耕民族で腸は長いのですから、肉食しすぎると、脂肪や異種蛋白が処理しきれずお腹で腐り、病をよぶのです。肉骨粉の使用規制がおくれたのは農水省の失態。さりとて、全頭検査しても若い牛は異常プリオンの蓄積が少ないので、黒も白となって税金の無駄です。根本的なBSE対策は、1)子牛を肉骨粉入り代用乳で育てさせない、2)屠場での危険部位除去の徹底、3)カレーやスープなどに、除去した危険部位を「タンパク加水分解物」として使わせない。
  さて、日本人に必要不可欠な食糧とは何か、それを海外に依存しないで確保するにはどうすればいいのでしょうか。参考資料:食品と暮らしの安全 2004.11-NO.187
−私たちのなかの子どもへ− (12) 久保理子

「貧しい島の奇跡」(「ムギと王さま」に収録)
(著者:エリナー・ファージョン / 訳:石井桃子 / 絵:E・アーディゾーニ / 出版社:岩波書店)

 ずっと前に読んだときには、心にひっかからなかったのに、今読むと、奇妙な痛みを感じさせられる物語があります。「貧しい島の奇跡」もそんな感慨に満ちた短編です。ある国の女王さまが、偶然目にした貧しい島を訪れることになり、島のやさしい女の子が、たった一本しかないバラを犠牲にして女王をもてなします。
 慈悲深い女王は、島を豊かにするために、帰ったらあれをしよう、これもしようと決心します。しかしながら、どの一つもしないうちに、“人には知られない苦しみのために”亡くなってしまうのです。その島の人たちは心底貧しく、本土へ渡るには、満月の日に、潮が引いてできた道を、歩くのがならわしでした。そして、お天気があやしくなって、皆が波にのまれそうになったとき、奇跡が起こります。
 女王と深いかかわりのある奇跡で物語は幕を降ろします。女王の痛みのもとは何であったのか、なぜ一つだけでも島を助けることをしておかなかったのか、あるいは奇跡によって島の人々を助けたということなのか、などと、とめどない物語の余韻が打ち寄せてきます。そしてなぜまた、この貧しい島の隣に、女王の楽しみのための島があるのでしょう。もっとも、その島がなければ女王が貧しい島を知ることはなかったのだ、とため息をつきながら。もう少し早く歩かないと、島へたどり着く前に、波が両側から押し寄せてしまいそうです。

Ken

 20世紀の半ば、第二次大戦後、私たちの意識の中の世界の中心はアメリカでした。いや、アメリカが世界の全てであり、外国といえばアメリカでありました。その頃日本の子供たちはその程度の国際感覚しか持っていなかったのです。
 いま、ソウルのハイテクベンチャー企業のオフィスで二十歳代後半の技術者たち、礼儀正しく、熱く、輝く眼を持つ若者たちと、電子工学やユビキタス、情報の階層管理の議論を交わすうちに、ふと自分が若かった時代の熱い思いがよぎりました。昔の日本人にはあったであろうが、今は失われてしまったなにか、重く、熱く、鈍く光るなにものか、人生にとても大切なものを思い出しました。
 思えば百済の昔から多大な文化的影響を受けて来たはずなのにいつの間にか意識の中から排除された、近くて遠い、そして私たちによく似た人たちが元気に住んでいる国がすぐ隣にありました。