ある暑い日のこと。久し振りに私に会いに来てくれた人が三人。それぞれ人を励ます仕事をしながら輝いて生きている人達だ。私が「素晴らしい生き方ができているね」と言うと、私のお陰だとみんながお礼を言ってくれた。私のおせっかいを喜んでくれてこちらこそ有難い。その日はお客様からわざわざお礼の電話も頂いた。何とも嬉しい一日だった。 でもこれだけで満足してはいけない、店の魅力をどうつなげていくか考えなければと思っていたその時です。マクロビオティックレストラン「まーる」のオーナーが店に来てくれて、入るなりお店を気に入ってくれた。そして「この店でマクロビオティックの食事を作りたい」と言ってくれたのです。話はその場で決まった。私に出来ないことをまーるさんがしてくれるのですから願ってもないことだ。話はとんとん拍子に進み、秋にオープンすることになった。ここで料理を作ってくれる人はオランダに勉強に行き、今は大阪の料理学校に通っている人で、知識も豊富だ。「玄米食とケーキも出しましょ。きなこロールケーキもおいしいですよ。豆腐のチーズケーキ食べたことあります?」「ないない食べた〜い」 私が楽しみでウキウキしているが、アレルギーや食餌療法をしているお客様に喜んでもらえるので何より嬉しい。マクロビオティックの料理は身体や心が喜び、健康を取り戻せるのです。こういう食事で子供を育てることが出来ていたら、子供も私も苦しまずに済んだのにと思うけど、今、出会えたことに感謝している。
前回紹介したノニジュースの成分など、少し説明します。
「おでき」などの化膿性の皮膚病、ブドウ球菌、糸状菌に対して強力な抗菌、殺菌作用がある 代謝活動をバランスよく保つ 圧縮された血管を拡張する働きがある
四国 EMフェスタ2004 in TOSA 〜土佐の高知の黒潮は 有機農法の船に のせて 環境浄化の浪を打つ〜 ■日時 9月11日(土) 10:00〜16:00(開場9:20) ■場所 ふくし交流プラザ ■主催 NPO黒潮蘇生交流会 ■料金 【分科会】1000円(10:00〜12:30) 【比嘉教授講演会】1000円 (13:45〜16:00) *当日券各1500円(中学生以下無料) 【技術指導・情報交流会】1000円 (16:30〜)
「おばあちゃんのはこぶね」(絵本) (著者・絵:M・B・ゴフスタイン / 訳:谷川俊太郎 / 出版社:すえもりブックス) あなたが歳をとって、人生の最後を過ごすために病院住まいをすることになったとします。そのときたったひとつだけ『想い出の品』を持ち込むことが許されるなら、何を持っていきますか?この絵本の主人公であるおばあちゃんは、90年以上も大切にしてきた宝物を持っています。それは、おばあちゃんのお父さんが作ってくれた、『ノアのはこぶね』です。 おばあちゃんと同じくらい歳をとっているノアのはこぶねには、ノアの家族や一組ずつの動物が入っています。おばあちゃんの成長につれて、お父さんが、楽しみながら作ったおもちゃなのです。いろんなことがあっただろう人生の最後まで、ずっと一緒に来たのです。 人生が終わりに近づいたとき、子どもがいようといまいと、ほとんどの人は病院に入ります。そして、持ち物は、ベッドと小さな机と椅子、衣類棚ひとつくらいのなかに、収まらなければなりません。衣類や生活必需品以外に持ち込める物は、ほんのわずかです。このおばあちゃんのように、他の何よりも大切な『もの』を持っている人は、どれくらいいるのでしょう。あれもこれもではなく、これだけは手放せない、という物を。それは一枚の写真でもいいし、指輪でも、本でもいい。心のなかの想い出は誰にもある大切なものだけれど、手でさわれる想い出の品、それもまた人生の証なのだと、あらためて思います。 大切なはこぶねを、ずっと手放さずに来れたおばあちゃんは、いつも眺めて触れることのできる想い出を守ってきたともいえるでしょう。もし今、あなたや私の回りにそういう『もの』があるならば、たとえ今年出会った物であっても、これからの大切な仲間となるでしょう。そんな風に思える物がひとつもなかったら、あるいは多すぎたら、ちょっと、立ち止まってみるのもいいのではないでしょうか。
息子が入院した10日あまりの間、様々な初めての体験の中で、しばしば考えさせられる事があったが、中でも隣のベットに入院していた女の子の事は、思い出しては泣きそうになる事がある。丁度6年生になる春休みに入院したその子は難しい病気にかかっていて、背丈は大人の私とほぼかわらない長身だったが、見るからにげっそりと痩せていた。パジャマ越しにも背骨の曲がりが見て取れて、本人も「だるい,疲れた〜」とよく言っていた。小学6年生という年代の理解力ってどんなものだったか自分の事を思い返してもぴんとこなかったが、その子は息子がぐずる度にあやしたり、おむつの重さを量りに(おしっこやウンコをする度にそのおむつの重さから出た量を計算してメモする)行ったりしてくれて、一緒にテレビを見たりするうちに、これほどまでに大人の会話ができるものかと心底驚いた。親に甘えたり、文句を言ったり、子供である事は間違いないが、様々な知識があり大人の生半可なごまかしは通用しない。色々な事が分かりつつ,それを受け止めるには繊細すぎて危なげな感じが「思春期」という言葉を思い出させた。そんな女の子のところにも「白い巨塔」の大名行列のような問診はやってくる。白衣の大人たちがぞろりとその子のベットを取り囲み、その中には全てを見逃すまいとする若い医師らの目、目。その子は心の中でいったいどれほどの恐怖や恥ずかしさと戦っているのだろう。大人になりかけた心と体に向けられた視線はあまりにも無神経で刺さるようだ。その子がどれほど賢く,さりとて傷つきやすい心なのか見え始めた私は、その光景を見て身動きできなかった。多くの男性,大人たちにさらされているその子の心と体は大人の階段を上り始めているにも関わらず、その大人な部分への精神的フォローはない。問診の日の朝、「今日は先生がいっぱい来る日か・・・」なんてつぶやく私の横でうつむいて浮かない表情のその子を見て「あぁ、やなんだなぁ・・」と察した。そんな中で女の子は微熱が下がらなくなってしまい,点滴をしようかという話が出て来た。点滴を引きずるという事が、自由を奪われる事が、子供心にとても恐怖で、「息子の点滴がとれたら売店に買い物に行こうよ」と話していたせいもあって「赤ちゃんが点滴とれそうながやに,今度は私が点滴になっちゃった」と息子に話しかけていたかと思ったら、カーテンをザッーと引いて,声を殺して泣き始めた。その時,どう慰めたらいいのか,全く言葉が浮かばず、大人だと思っていた自分の未熟さになんだか悔しくて泣きそうになった。そんな彼女が息子の退院のとき、受付まで見送りに来てくれて、「バイバーイ」と手を振りつつ、でも寂しそうにしていたのが今も思い出される。今もその病院に定期的に通院しているが,彼女のお見舞いに行く勇気がどうしても湧いてこない。退院していて欲しい思いと、どんな顔で会えばいいのかという不安で二の足を踏んでしまう。 この入院で感じた事はあまりにも多くて、この文章を書きながらもまだ整理できないでいるが、今、自分の中にある思いは「生きる事に一生懸命にならなくては行けない場所があって、人がいて、では私はどうか」ということである。この問いを,いつも自分に投げかけている。
7月30日、ごみの行方をたずねるツアーに参加しました。 缶は、再生資源処理センターで磁石を使ってアルミニウム缶とスチール缶を分別します。アルミニウム缶は、原料のボーキサイトから電気分解してアルミナにするまでの使用電力量に比べ、わずか3%の電力で再生できるので、100円/kg(昨年2億円/2000t)と高価に売れます。スチール缶や鍋など圧縮した金属塊は、20円/kgで中国、韓国などへ輸出します。所長さんは、缶が道ばたに転がっていると「勿体ない、お金をふてるようなもんじゃ」と思うそうです。 瓶は、10年前までは種類別にもとの工場に送っていたのですが、収集・選別・納入に手間とコストがかかるので、今はすべて色別に破砕して再生工場に送っています。瓶を生かすためには、資源ごみに出すよりも、購入した酒屋さんに返して5円か15円もらえば、酒屋さんは問屋に返した瓶代を差し引いて製品を卸してもらえます。 ペットボトルは、プラスチック減容工場で小さく破砕され、きれいに洗ってあるものは10円/kg、汚いもの4円/kg、色つき3円/kgで売れます。ただし、スーパーなど決められた場所に出さないと、処理できません。水曜日の容器・包装プラスチックごみと一緒くたに出すと、73円/kgの処理費用を出して(市町村負担分8%、高知市は昨年4100万円/6000tを負担)、化学製品の材料としてひきとられるだけです。それから、容器・包装ごみは洗って出しましょう。そうでないと工場には腐敗臭が満ち満ちてしまいます。 可燃ごみはすべて、2年前にできた長浜の清掃工場で焼却します。できた灰は溶かして、黒いガラス塊のようなスラグにして道路舗装に使うほか、底に沈んだ金属スラグを2.3円/kgで売っています。でも、耐用年数を過ぎた焼却場自体は、次々と巨大で厄介な産業廃棄物になっていきます。ごみになるものは、できるだけ買わないことですね。 ただのごみでも分ければ資源です。家庭から出るごみをみんなで分別すれば、資源が循環していきますね。