担当医と患者

 先月の初めに5ヶ月になる息子が肺炎のため入院しました。そのときに感じた診療に対しての
 疑問や、様々な人たちとの出会いについて書いてみたいと思います。

最初、近所のかかりつけの小児科に行き、そこで撮ったレントゲンで肺炎の疑いがあるということで、あっという間に入院施設へ転送された。初めての子どもの入院、家に残していく長女の世話、食事や洗濯や保育園の送り迎えや・・・いろいろな心配事が頭の中をぐるぐると回り、不安と焦りはあったが、必ずなおる,治さなくては,という強い思いで病院に向かった。
病院について間なしの点滴は、息子がまだ小さいため管を通すにも大仕事で、30分にわたり処置室から看護婦さんたちの「がんばれっ」のかけ声と、息子の叫び声が聞こえ、どっと疲れが出たところでの,若い医師の問診が始まった。
息子の担当になった研修医の若い医師はとてもひたむきで一生懸命,まじめな印象。それだけに息子のデータを正確に得ようとするあまり,受け手である患者の状態が目に入らず,長い長い質問が繰り返された後にはかすかな怒りすらこみ上げてきた。こんなに心身ともに疲労しきっている家族に対して余りに思いやりが感じられなかった。なんと言ったらよいか,「人間の尊厳」が完全に無視されているように感じたのだ。病気を治しにきたのだけれど,病気は四角い箱に入っていて顕微鏡でのぞきながらそれについて質問されているような感じである。ひどい表現だがすべての症例は研究の材料になる大きな病院では,実は当たり前の事かもしれない。実際待合室には「この病院は医療機関であると同時に研究機関でもあるので学生の研修に協力願います」という感じの断りが貼られていてドキッとした。乱暴な言い方をすると多くの優秀な医師を作るために,私たちは踏み台になるのだ。なんて考えてしまうほど,患者側の心は置き去りだった。
24時間,緊急時に備え詰め所に張り付いて,常に何かを書き取り,辞書を引く若い医師のひたむきな姿に、「ありがとうございます」とどうしても言葉が出てこない。心拍数や血圧の数値から目を離して、一度、ベットに横たわる子供の周りには,帰りを待ちわびる親兄弟と祖父母と多くの祈りに似た思いを抱えて付き添う家族たちがいて,みんなそれぞれ違った人生を持つ人間であると、思いをはせる当たり前の視点が欲しい。そういう教育を,この大きな病院だからこそ実践に活かしてほしい。若い医師の身を粉にした努力が患者側に伝わるために。
退院から時間が経った今,冷静に考えると、患者側の心のケアまで要求するのは理想論かとも思う。外来に今も通い,本当によく診てもらっている。ただ入院は生活がすべてベットの一畳あまりの空間におし込められて精神的に追いつめられやすい。長期にわたる事も多く特別なメンタルケアは必要不可欠だろう。その部分を、あまりに看護師さんの献身的な看護と笑顔に頼り過ぎているように感じる。心のケアは点数(お金)にならない、でもそれを置き去りにした医療には希望が見いだせないのだ。

Bun

−私たちのなかの子どもへ− (6)

「グリーン・ノウの魔女」
(著者:L・M・ボストン / 絵:ピーター・ボストン / 訳:亀井俊介 / 評論社)

 イギリス最古の「マナーハウス」と呼ばれる屋敷に暮らしたボストン夫人は、グリーン・ノウシリーズの登場人物、オールドノウ夫人のモデルといわれます。
 シリーズをこの5巻まで読むと、ザワとふるえる感覚におそわれました。うすうす感じてはいたのですが、ボストン夫人は、善意や美しさにあふれた世界だけでなく、子ども時代に人間の残酷さを体験した人なのでしょう。だからこそ、グリーン・ノウのような人間の善を根本にした物語を生み出し得たのだということを強く思いました。この作品では、田園のマナーハウスを舞台にしたおなじみの子どもたちの世界に入り込んだ「日常の悪意」について、実に多くを語っているのです。
 ここに登場する「悪」は、魔女メラニー・デリア・パワーズという隣人の姿を借りています。一見普通の人に見える魔女の襲撃を受けたグリーン・ノウ屋敷は、呪われ、踏み込まれ、乗っ取られかけるという非常事態に陥るのでした。
 「でも、こんな人、いるよね。」と思わされもする空恐ろしいメラニーの言動は、不安をかきたてます。平和だった世界に、「えたいの知れない隣人の厚かましさ」という災いを持ち込む魔女メラニーの訪問。向かえ撃つグリーン・ノウの人々と一緒に私たちも戦いながら、強さを獲得してゆくのです。オールドノウ夫人が心の支えにしている庭のオールドローズ、その一輪を見守ることができる幸せのために。

久保理子



ある日、一宮中の先生から職場体験学習の依頼があった。うちの店に希望している生徒がいると言ったのでピンときた。小学校の時に学校に行けなくなった時に来ていたT君だ。すぐにT君だと分かったのでその電話でお受けしたけど、複雑な思いにかられてしまった。
電話をかけてきた先生が高圧的な物の言い方で人に物事を頼むような態度ではなかったからだ。聞き覚えのある名前の先生だったので確かめてみた。保護者も同僚の先生からも、とても問題のある先生だと思われていることが分かった。学校に行けなくなったり転校せざるを得なくなった生徒も何人かいたそうだ。その先生と生徒や保護者の間には、考え方にズレがあるようだ。出来れば先生にうちの店に職場体験に来てほしいと思う。
体験学習の目標に「人との出会いを大切にし、体験を通して社会のルールを理解する」とあるからだ。地域の中で先生と親が学び合うことで、先生や親は成長し子供が育つのだと思う。
子供を教育しようという思いは、おこがましいことかも知れない。
楽しみにしているT君のためには、二人でうどんでも打って食べて楽しむことにしよう。

和田佐知子/うれし屋 tel:845-5601地図



 環境と健康を同時進行で回復する試みが病院の内と外で始まっています。
 「どんなに高度な医療をもっても、食べ物や水、ひいてはすべての環境を整えていかなくては病気を治すことはできない」と語るのは、『EMXが生命を救う』(サンマーク出版)の著者の田中茂朝霞厚生病院名誉理事長です。
 この病院では、「入院期間を短くして、なるべく早期に社会復帰してもらうのが病院の本来の役目、その為の投資は惜しまない」とEM技術が導入され、病院内での散布に始まり、掃除、洗濯にEMを使用、貯水槽には大量のEMXセラミックスを投入、病院食にはEM米を、肉、卵などもEM活用のものを使用しているそうです。
 興味深いことは、病院でEM活性液を無料配布していて、外来の患者さんが持ち帰っているということです。
 また、田中先生は、「微生物と人間の共生こそが地球の生態系を守ることであり、生態系を守ることが疾病を予防することである」と語っています。

小松加世子(090-1176-3884)

 高知には死別体験を分かち合うセルフヘルプグループがふたつあります。市民団体「高知ひまわりの会」と精神保健センター主催「こもれびの会」です。昨年3月、あいついで誕生しました。このふたつの会が合同で、五台山竹林寺をたずね、住職の海老塚和秀さんのお話をうかがいました。
 4月下旬の五台山は若葉が萌え、もう、心地よい初夏の風がふいていました。若い男女の白装束遍路姿もありました。築400年の本堂屋根の蔭に、お尻を出して圧し潰されそうになっているこどもを見たことがありますか。じつは、これ「あまのじゃく」なんですって。お話をうかがった客殿からは、五台山から土佐湾を望む景観を夢窓国師が築いたという庭そのものが、巨大な亀の姿として見えていました。
 幼いこどもと死別する体験はつらいことです。ある母親が「こどものいのちをよみがえらせてほしい」と高僧にたのむと「一度も葬式をだしたことのない家から芥子の実をもらってきなさい」と言われ、たずね歩いたが、どの家にも家族をうしなった悲しみのあることがわかったという話がお経にあるそうです。仏教には、生まれたときから何歳まで生きるか決まっている「定命(じょうみょう)」という考え方があるそうです。そして、金子みすずの詩『土』のように、この世には無駄も無価値もない、短命でも、障害があっても、それは尊い縁だったのではないか、と話されました。
 和秀さんは、小学生のとき父親を亡くし、高校生のときには寺に生まれたことを受け入れられず反抗したそうです。でもその後、いま、ここで、精一杯ていねいに生きていく「落在(らくざい)」という考え方と出会い、寺の住職としての人生を積極的に肯定できたそうです。この世には、人をあたためる言葉と、そうでない言葉があります。心温もる言葉をたくさんいただいた午後でした。

ラーラ