アメリカの子供の絵

 9月から新学期が始まり、長男は小学1年生、長女は年長になりました。2人とも年長から高校3年生まである公立学校に通っていて、隣どうしの教室にいます。
 教室や廊下の壁には、子供達の作品がはってありますが、いつも子供達の自画像には、ぎょっとさせられます。長男トミーは自分の顔を茶色か黄土色にぬるからです。いちいちクレヨンを手の甲にあてて、自分の肌の色に近い色をぬるので、夏はこげ茶の顔になります。顔は肌色でぬるという日本での習慣に慣れている私は、異和感を感じます。太陽も赤ではなく黄色か白で表現されます。全く固定観念のない長女、純は口びるの左半分を黄色、右半分を紫にしたり、髪をピンクやオレンジでぬったりします。絵を自由に楽しんでいる姿は、うらやましくもあります。実際、金髪を水色と赤のすじに染めている子供もいるし、目の色も青や緑の人々がたくさんいるのですから、日本の子供達の絵よりもカラフルになるのは自然なことなのでしょう。
 私は子供の絵に口出しするつもりはありませんが、1つだけ、本当はやめてほしいことがあります。それは「お母さんの顔」を描いてくれる時に、顔中オレンジの点々(しみ、そばかす)をつけてくれることです。

美和 クランマー

L'invention du Monde
Galerie des enfants
22 octobre 2003 - 8 mars 2004
Takako Taniguchi
http://yaplog.jp/loulouyaya/

世界地図を前にするという事は、平面に描かれた形が物語るさまざまな視点や文化への扉だ。
地図を通して表現されるものを探るというのは、コンテンポラリーアートを知るプロセスとよく似ている。
more

−私たちのなかの子どもへ− (3)

「百姓の足、坊さんの足」(著者:新美南吉 / 絵:遠藤てるよ / てのり文庫 「おじいさんのランプ」に収録、 出版社:大日本図書)

 いまも小学校の国語の教科書には「ごんぎつね」が載っているでしょうか。新美南吉の書いた短編は、子どものころの思い出と結びついていて、いまとなっても、とっぷりと暮れた西空の金の星に似て、私のゆく道を照らしてくれるのです。
 この「百姓の足、坊さんの足」は、地獄と極楽という死んでからのゆく先を、その一歩手前まで見せるという、子どもごころにも因果なお話でした。貧乏で正直な百姓の菊次さんと、傲慢な和尚さん。菊次さんと和尚さんは、お米を踏むという同じ罪を犯したのに、足が悪くなったのは菊次さんだけ。私たちは二人の不公平な人生後半から、やがて訪れる審判へと磁石のように惹きつけられてゆきます。
 当時の私は、地獄や極楽を信じませんでしたが、ただ、死んだらどうなるのだろうという恐怖にひとたび落ちると、ナイアガラ瀑布に飲まれたかのような無力感に打たれていました。死への願望などないのに、「死」はいつもそばにあって、思わない日は一日もなく、まさにそういう意味で生と死は一体のものなのでした。
 若くして世を去った南吉には、死への予感がどこかにあったのでしょうか。私は、いつかずっと先まで生きていられたら、この物語をそらんじて、人前で語りたいという野心をあたためています。いまはまだ、その時ではありませんが。

久保理子



2月号にNちゃんのことを店に来て、泣く当る、私は逃げ出したいと書いたので毎月読んでいるNちゃんの反応が少し心配だった。
今までのNちゃんだったら自信を失い怒っていたからだ。
今回は違っていた。じぃーっと読んでいたNちゃんから出た言葉は、「これでは説明不足やね。それとお母さんだけの力やないよ。おばちゃんがいてこの居場所(店)があったからよ」と冷静そのもの。
まあ何と嬉しかったことか。Nちゃんの成長振りを確かめる機会になった。
説明不足を少し補うと、Nちゃんはやさしい子で頑張り屋だ。勉強好きで一生懸命、頑張っていたが小学校での出来事で自信を失い学校に行けなくなったのだ。今は随分元気になり、気持ちの切り替えも上手くなった。何かで聞いたことがある。人で傷ついた心は人でないと癒されないと……。
その役割を両親が引き受けることが出来たら子供は自信を取り戻し、どんどん元気になっていくと思う。また、子供が困った時に力になってやることが親の仕事だと私は思っている。

和田佐知子/うれし屋 tel:845-5601地図



 EMは消臭に効く事は何度か紹介させてもらっていますが、特に消臭で活躍してくれている場所があります。
 それは介護施設です。
 実は、グループホームに務めていた事があり、ある日職員会議で、「どんなに洗濯しても入居者の方の洗濯物の臭いが気になります。何かいい方法はないでしょうか」という質問がで、その時にお米のとぎ汁発酵液の話をさせてもらうと、「ためしに使ってみましょう」という事で使ってもらえる事になりました。
 そして、当然の事ですが、見事に臭いは消え、それからは洗濯に限らず掃除にも使ってもらえるようになりました。
 介護施設特有の臭いもなくなり、きれいなので、訪問された方々もびっくりされていました。
 又、入浴の際にもとぎ汁発酵液を入れていたので、冬に肌が乾燥して、かゆみを訴える入居者の方もいませんでした。
 グループホームというのは、共同生活している施設なので、とぎ汁がたくさんでるのですが、それを流す事なく、有効利用され、生活援助員さんの手助けになり、入居者の方も気持ち良く生活できる。そんなお米のとぎ汁発酵液は手離せないと、現在も大活躍してくれているようです。

小松加世子(090-1176-3884)

 高知初のがん患者と家族のための会『一喜会』の創立一周年を記念する集いが、2月1日かるぽーとでありました。この会は、がん患者の家族が自ら立ち上がり、おなじ境遇の人々と集って体験や情報を共有し、助け合いながらがんと向き合ってきました。このような活動をする団体をセルフヘルプグループ(自助グループ)といいますが、高知にも多いですね。
 今回は、不登校とひきこもりに30年間向き合ってきた高知市出身の立命館大学教授 高垣忠一郎さんのお話をご紹介します。高垣さんは、不登校がこどもの将来に影をおとすのではないかと恐れる親に対して、「行けなくなったその理由をしっかり考えましょう」と人生を競争のように見る人生観がはびこる社会に目を向けてもらい、そうではなく「ひとりひとりが自分の物語をつくりながら成長するのが人生では」と問いかけてきたそうです。そんな方ですから、56歳でたまたま前立腺癌がみつかったとき「せっかくできたがん、自分の人生を考えるために天があたえた警報」ととらえ、「簡単には切られたくない」と1年6ヶ月間がんと自分に向き合った後の手術が「死と再生の儀式」となり、生まれ変わるような体験をしたそうです。手術後の高垣さんは学生には「隙だらけ」と、「心細い私たちには太陽ではしんどい」親には「お月さんみたい」と言われるとか。いま、尿もれ対策の「おしめパンツ」をはくと「ここちよく、安心してもらせる」ことから、「おしめパンツのような学生を育てたい」と思っているそうです。
 セルフヘルプグループには、この「ここちよく、安心してもらせる」ということが会の運営の鍵だねと、私のかかわっているあるグループの仲間たちとおおいに共鳴し合ったことでした。ほんとうに安心できる場が用意されれば、人はこころの揺れやつらさを思いっきり表現できるから、希望に向かう力も湧いてきますものね。

ラーラ