(20) An independent enterprise チュンズ

 3月19日に取得したインドのマルチプルビザが、9月18日まで有効なので、期限内に今年最後の買い付けに出ようと決めた。ネットで、デリー乗り継ぎでカトマンズ行きの格安航空券を発見し、購入した。往路直接ネパールへ向かい、復路デリーで途中降機できるよう手配。今年3度目になるインドへの渡航となる。
 8月29日、OCATから6:35発の関空行きリムジンバスへ乗り込んだ。13:55ボーディング。私の乗ったエアインディアは香港で給油後インド時間の21:30、インディラ・ガンジー空港へ着陸した。荷物はすでに大阪からカトマンズへ向けて飛ばしてあり、身軽なまま係員についてトランスファデスクへ向かう。空港内のトランジットエリアで夜を明かし、翌日早朝のインディアン航空カトマンズ行きに乗らなければならない。ここでちょっと後悔したのは、いくらチケットが安いからと言ってこの冷房の効きすぎた硬い肘掛付きベンチしかないところで眠るのは不可能に近く、もう少し若ければこのくらいの不便も面白がることができたかもしれない、ということだった。
 ネパール入国の際、自分の職業を英語で書かねばならず、携帯の和英辞書で調べて「Independent enterprise」と記入した。もうちょっと憶えやすかったらいいのに。
 ネパールビザの取得に時間がかかったものの、タメル地区にあるホテルへチェックインして部屋に荷物を置き、休むことなくそのまま買い付けに出かけた。カトマンズ滞在中に買った品物をまとめて日本へ送るため、カーゴ会社を4社ほど巡って送料の見積もりをとった。仮に20キロ送るとして、TNTなら空港まで4日ほどで届いて16,898ルピー、Air mailは自宅まで40日で9,947ルピー、CARGOは15日10,171ルピー。DHLだと25キロ送るとして自宅まで5日18,575ルピーとのことだった。ヒマラヤン銀行でさらに5万円エクスチェンジ。41,000ネパール・ルピーに替わった。
 カトマンズのトリブバーン空港でデリー行きを待っていたら、定刻にはコルカタ行きが飛び、私たちの飛行機は40分遅れて飛び、荷物が出てくるのに30分かかったのでピックアップに来てくれているはずのガイドさんが到着口におらず、さあ、インドでは公衆電話にいくら入れれば通話ができるんだ、とガイドブックを見て、10インド・ルピー札を1ルピーコインに替えてくれるところを探した。
 今回も列車でジャイプルに向かい、宝飾店でジュエリーを仕入れた。世界でも一、二を争う産出量と安さの美しい宝石たちは、Webとフェイチュイ店内のガラスケースにて、展示販売されている。
 ジュエリー部門がわりと好評なので、次は早ければ年明け、遅くても春前にはインドを目指したい。

10. 餅つき 都築房子

 私の子どもの頃の年末行事の中で、「お餅つき」はとても楽しみなことでした。今は出来上がったお餅を買ってくるのが普通ですが、昔は皆自宅で餅つきをしました。どこの家でも12月28日か30日までには、餅つきのぺったんぺったんという音が聞こえました。(29日は苦につながるとされてこの日を避けていました)
 その日は朝から親戚のおじさん、おばさん、従兄弟など大勢の人が家に集まり、それぞれ役割分担して大量のお餅をつきます。まずおくどに火を焚きお湯を沸かし、餅米を蒸します。その間につき手の男の人たちは臼や杵などの道具を準備し、やがて餅米が蒸し上がると臼に入れて互いに掛け声を掛け合いながら、餅つきの始まりです。合間におばあさんは慣れた手つきで臼の中のお餅をひっくり返します。そうしてつき上がったお餅は、待ち構えているお母さんやおばさんの前に移され、どんどん形に仕上がっていきます。できたお餅を「むろぶた」(木でできた浅い箱)に並べて出来上がりですが、そのむろぶたが次々と積み重ねられていく頃には子どもたちも腹いっぱいにお餅を食べてすっかり満足しています。こうして1日の終わりには皆自分たちの家の分のお餅をいっぱい持って家路に着きます。一方で、人手のない家はどうだったかと言うと、この時期に町内に回って来る餅つき屋さんに頼みます。2、3人の若い男の人が一組になってリヤカーに臼や杵など道具一式を積んで回って来ていました。注文が入ると道の真ん中で道具を広げて(当時は車がほとんど走ってなかったので)、大きな掛け声とともに威勢よく餅つきを始めます。子どもも大人もワクワクしながら遠巻きにこの様子を見ていました。
 お餅は私たちも食べますが、まず第一に鏡餅として「お正月」の神様にお供えする大切なもので、他にも家中のいろいろな神様(火の神、水の神など)にお供えしました。たくさんの神様に守られて一年を無事に過ごすことができてありがとうございました、また新しい年もよろしくお願いしますという気持ちでお供えしていました。そのため、お餅をつくことがお正月の準備としてなくてはならないものだったのだと思います。