私の住んでいた辺りは、小さな家内工業が盛んで同級生の家もいろいろな家業を営んでいました。友達の家に遊びに行くと、その家の両親や職人さんたちがいつも忙しそうに働いていて、その様子を見るのは楽しみでした。
家のすぐ前はせんべい屋さんで、おじいさんとおばあさんの2人で朝早くから手際よくせんべいを焼いていました。その少し先では、飴屋さんが見事な手さばきでまるで工芸品のような飴を作っていました。格子の窓からのぞいて見ていると、たまに職人さんが飴の切れ端を子どもたちにくれることもありました。また同級生の家は麩屋で、遊びに行くといつも酸っぱいような独特の匂いがしていましたし、同じ町内にあんこ屋、豆屋、甘納豆屋、蜜柑水屋、昆布屋など多種多様な食品製造業がありました。それらは、子どもの目から見たらどれも驚異的な技のオンパレードで1日中見ていても飽きないほどでした。
私が小学生の頃はまだ今のようなアイスはなく、かき氷を木型に詰めて押し固め割り箸を刺したものがありましたが、それは赤や黄色の甘い蜜をかけるとすぐに崩れそうになり落とさずに食べるのはとても難しい代物でした。その後、色着きの砂糖水を型に入れて凍らせたアイスケーキが売り出され製造直売していましたが、やがて駄菓子屋の店頭でも全国販売のメーカー品が出回り始めると姿を消してしまいました。
小さな家内工業から大量生産へと社会の仕組みが変わっていく途中でしたが、子どもの頃にものづくりの現場を見ることができたのは、今でも幸せだったと思っています。 |