谷口貴子

 子供達がフランスの義務教育を受けるようになって数年。
 親子共々こちらの教育システムは初体験なので、周りの友人知人や父兄にあれこれアドバイスを受けながら、なんとか慣れてきた。しかしまだまだ新しい事、知らないことが多くまごついたりする。
 いつまでたっても慣れないのが、フランスの学年の数え方。小学校1年から高校3年までを、CP, CE1, CE2, CM1, CM2, 6, 5, 4, 3, 2, 1, Terminalという風に呼ぶ。CPからCM2までが小学校、6から3までが中学校、2からTerminalまでが高校。とっても不可思議で面倒な数え方なのだ。
 先日学校より、無事中学5年生に進級しますという通知(こちらは落第がけっこうある)と共に、「ラテン語」を選択するかどうか決めてくださいというお知らせが来た。
 ラテン語と言われても…あやふやな気持ちで、友人知人、同僚にあれこれアドバイスを受ける。私と同世代の人たちが中学生の頃には「ドイツ語とラテン語を選択する生徒は頭が良く、レベルの高い高校に行ける」という風に解釈されていたらしい。そして彼らが親になった今「ものすごく役に立つというわけじゃないから、本人がやりたくないならやらせる必要はないよ」という傾向に変わってきているようだ。少なくとも、中学の頃ラテン語とドイツ語を選択した私の友人知人達はそういう意見だ。と同時に、中学校の説明会で一部の父兄がラテン語とドイツ語について、教師にしつこく質問していた意味が分かったぞ。
4. テレビ 都築房子

 私たちの生活にテレビが出現したことは、大きな驚きでした。それまで映像は映画館に行って見るだけだったのが、自分の家で家族とくつろぎながら、スポーツやドラマを見られることは、それまでの生活を一変させたと言ってもいいのではないでしょうか。
 私が最初に見たテレビは、街頭テレビです。当時、中央公園の真ん中に高いポールが建てられ、その上に置かれたテレビから流れる映像を、大勢の人々がそれを取り巻いて見上げていました。それは、何を見たのかよりも、大勢の人が1個のテレビ受信機の方を一心に見つめている状況の方がより印象に残っています。それから少しして、電器屋さんの店頭にテレビが置かれるようになり、プロ野球中継などが放送されるようになり、お店の前の路上にはいくつもイスが置かれ、父や近所のおじさんたちの大きな楽しみの場となっていました。また、近所のうどん屋さんなども店にテレビを置いて、大相撲のある時などはそれを目当てのお客で満員になるほどでした。
 しばらくすると、親戚や友達の家でぼつぼつテレビを買う家が出てきて、今度はそれを見せてもらうために一家でよその家に上がり込んで夜遅くまでテレビを見たこともありました。今考えると、さぞかし迷惑だったことと思いますが、テレビを持っていることがステイタスだった頃で、大勢が自宅に押し掛けてくることもその家にとっては嬉しそうでした。
 そうこうするうちに、私が中学校に入学した頃に私の家にもやっとテレビが来ました。(さすがによその家よりかなり遅かったと思いますが)
 テレビは床の間にデンと収まり、1日の終わりに家族そろって皆でテレビを見るのが楽しみになりました。(当時のテレビはカラーではなく白黒テレビです)