谷口貴子

 先日、ヤヤがクラスメートのミラちゃんの家に泊まりに行った。
 ご両親とは娘を迎えに行った時や学校行事で時々会って挨拶を交わすくらいの間柄だが、そこも離婚家庭だと聞いていた。
 その日は「お父さんちの週」だったので、ガレージを改造したというかっこいい家にヤヤを連れて行き、そこで離婚後の子育てについて話をした。ミラちゃんのお父さんが、元妻とは子供の受け渡しで最低でも週に1、2回は会っているし、電話で子供の近況を報告したり、子供を通してたくさん話をして、常につながり続けている。その関係性、距離感が「とても不思議な感じ」だと言っていたのが、印象に残っている。
 そしてこの間、ミラちゃんのお母さんから、おもしろい話を聞いた。両親が離婚でもめていた頃、ミラちゃんが学校で「離婚家庭の子供サークル」というグループを結成したんだそうだ!
 学校のお昼休みに集まって、お互いの悩みを話し合ったりするという活動内容。
 ミラちゃんの両親が離婚したのは、私の離婚の時期とほぼ同じ。もしかしたらヤヤもサークルに入っていたのかもしれない。
 最近になってお母さんが、「このごろサークルの話をしないけど、どうなったの?」と聞いたら「もうみんな悩みがなくなったから解散したよ!」とあっさりと答えたそうだ。たくましい!子供達!
 こういう話を聞くと、親もぐずぐず悩んでいないで、前向きに生きなきゃと気が引き締まる思いだ。
3. 楽しいこと 都築房子

 私の子どもの頃には、楽しいことがたくさんありました。
 毎日とにかくよく遊びました。家のまわりの空き地は格好の遊び場で、大勢の子どもが日暮れまで走り回っていました。道路も今と違って車が通ることはまれで、子どもが安心して遊べる場所でした。自転車は一家に一台あるかないかという時代で、もちろん子ども用などあるはずがありません。しかし、貸し自転車屋さんがあって子どもたちは少ないお小遣いを出し合って1台の自転車を借り皆で練習しました。上手になると足が届かない大人用の自転車にも器用に乗ることができ、結構遠くまで走って行きました。
 春には、父の会社の慰安会でお花見に行ったり(当時は社員の家族も参加するのが普通でした)、夏の夜には道にあちこち涼み台を出して近所中でおしゃべりや花火をしたり、秋には地区民大運動会があったり、今考えると子どもの遊びに大人がつきあうのではなく大人と子どもが一緒になって遊んでいたなあと思います。普段の夜にも、夕食後に父の得意だった「かるめ焼き」を作って、家族皆で楽しんだりしました。(ざらめ砂糖を火にかけて重曹で丸く膨らませるお菓子です)
 その中でも大人も子どもも何よりの楽しみは映画を見に行くことでした。映画に行く日は早目に夕食をすませて家族や近所の人たちと誘い合わせて一緒にぞろぞろと歩いて、現在の南宝永町あたりにあった「ヤマト館」という映画館に行きました。皆自分の座布団を抱えていたことを憶えているので、きっと今のような座席ではなく板張りの床に座って見ていたのでしょう。月に1回ほどのささやかな庶民の楽しみでした。テレビがまだなかった頃の話です。