谷口貴子

 先日ヤヤの友達のお母さんより電話があり「実は離婚することになった」と打ち明けられた。とても仲の良い夫婦だったので正直かなり驚いたと同時に、「またか…」と心の底で思った。
 というのも、なぜか昨年から私の周りはどんどん離婚している。フランスの家庭の約50%が離婚、再婚、複合家族という統計もあるが、それは大げさではなく日々実感する事だ。ルルヤヤが友達の家に招待されるたびに「お父さんのところ?お母さんのところ?」と尋ねる確率が、ほんとうに半分なのだ。
 という私も実は2年前に離婚をした。我が家の場合は、私がほぼ100%子供達と暮らす形になっている。父親のところに行く頻度は、子供達と父親の希望にまかせている感じだ。私の周りでは、1週間毎に子供が父親と母親の家を行き来するケースが大半だが、1週間を2つに分けたケース、または2年毎という珍しいケースもある。両親がいつまでも仲良く同居しているのにこしたことはない。でもいがみ合って不幸なまま暮らしていく必要もない。そういうところだろうか。
 どちらにしても、子供がいれば、いくら離婚という形を取っても子供を通してつながっていく。それぞれの家庭にそれぞれの事情があり、様々な家族のかたちができていく。そして離婚有無にかかわらず、家族は常に変化していく。
 ルルヤヤはこの現実を半ばあきらめ、半ば肯定的に受け止めているように見えるが、実際のところはどうだろう?と、ふと考えることもあるが、とにかく今は考えるよりも日常をこなしていくので精一杯だ。
2. エコライフ 都築房子

 私が生まれた頃の高知市は、まだ町のあちこちに戦争の名残があって家のまわりにも空き地がたくさんありました。町の復興は少しずつ進んでいたようですが、当時若い父に抱っこされた赤ちゃんの私の写真を見ると高知駅から東はほとんど何もなく現在との違いに驚きます。私の家は戦争では焼けてなかったのですが、南海大地震(1946年)のために柱がななめに傾いていたことをよく憶えています。(地震の際に一度倒れた家を起こしたと聞いていました)
 当時の生活は車もテレビもガスもなく、ご飯を炊くのも奥戸(かまど)にまきをくべて煮炊きは七輪に炭火をおこして使っていました。電気もほんの少し明かりをともすぐらいで、今考えると、ずいぶん暗かったのではないでしょうか。冷蔵庫はお金持ちの家に氷で冷やすタイプのものがあるぐらいで、エアコンなどはもちろんありませんでした。水もとても大切に使っていて水道はありましたが今のように流しっぱなしということはなく一度水槽に貯めてひしゃくですくって使うのが当たり前でした。洗濯は井戸水をたらいに汲み、洗濯板でごしごし洗っていました。 衣類は既製品というものがまだあまり売られてなく、新しい服を手に入れようと思ったらまずお店で布を買い、それを縫ってくれる人を探し服に仕立ててもらいました。だから、服はとても大切に着られていて、縫い直したり編み直したりして着るのが普通でした。
 食べ物は今のようにスーパーなどなく、買物かごを持って八百屋や魚屋に行きました。塩、酢、油などほとんどの物が量り売りで、必要な量だけをガラス瓶などを持って買いに行きました。これらはだいたい子どもの仕事で、私もよく空き瓶とお金をしっかり持ってお使いに行きました。このような生活は今考えるとまさに「エコライフ」と言える暮らしなのではないだろうかと思います。