私が生まれた頃の高知市は、まだ町のあちこちに戦争の名残があって家のまわりにも空き地がたくさんありました。町の復興は少しずつ進んでいたようですが、当時若い父に抱っこされた赤ちゃんの私の写真を見ると高知駅から東はほとんど何もなく現在との違いに驚きます。私の家は戦争では焼けてなかったのですが、南海大地震(1946年)のために柱がななめに傾いていたことをよく憶えています。(地震の際に一度倒れた家を起こしたと聞いていました)
当時の生活は車もテレビもガスもなく、ご飯を炊くのも奥戸(かまど)にまきをくべて煮炊きは七輪に炭火をおこして使っていました。電気もほんの少し明かりをともすぐらいで、今考えると、ずいぶん暗かったのではないでしょうか。冷蔵庫はお金持ちの家に氷で冷やすタイプのものがあるぐらいで、エアコンなどはもちろんありませんでした。水もとても大切に使っていて水道はありましたが今のように流しっぱなしということはなく一度水槽に貯めてひしゃくですくって使うのが当たり前でした。洗濯は井戸水をたらいに汲み、洗濯板でごしごし洗っていました。 衣類は既製品というものがまだあまり売られてなく、新しい服を手に入れようと思ったらまずお店で布を買い、それを縫ってくれる人を探し服に仕立ててもらいました。だから、服はとても大切に着られていて、縫い直したり編み直したりして着るのが普通でした。
食べ物は今のようにスーパーなどなく、買物かごを持って八百屋や魚屋に行きました。塩、酢、油などほとんどの物が量り売りで、必要な量だけをガラス瓶などを持って買いに行きました。これらはだいたい子どもの仕事で、私もよく空き瓶とお金をしっかり持ってお使いに行きました。このような生活は今考えるとまさに「エコライフ」と言える暮らしなのではないだろうかと思います。 |