小笠原まき

 2005年3月1日高知医療センターがオープンしました。
 私はその約1年半前に、院内アートの依頼を受けました。私の担当した小児科病棟と産科は病院の4F全域にわたり、小児科に関しては、壁紙をつくるところから床材の色選びもさせて頂きました。依頼を受けてからの1年は、他の医療現場への仕事も多く、グループホームの壁画や、ガンと難病の子供達の家族を支援するための施設の仕事など命について考えさせられる日々でした。私も母として子供の病気に直面した時は、苦しがる娘の背中をさすり、治療の時は娘を笑わせて、いっぱいいっぱいの気持ちで病院の待合室で座ることもありました。絵を描きながら子供達とお母さんとスタッフの方々の少しでもお役にたてたら、どんなにありがたいだろうと、ただひたすらに祈っていました。


〈アートコーディネート・タウンアート〉
高知医療センター4F
小児科病棟のホープさんの部屋

 私は小児科病棟には“希望”というテーマを決め、あたたかい守り神としてホープさんという身長5mのおばあさんを描くことにしました。そして「おおきなホープさんのお話」という物語をつくってその物語に出てくる、小さな小人妖精を制作し、主人に小人妖精の扉を木の板でたくさん作ってもらいました。病棟は毎日過ごす場所なので作品が出すぎないように、うるさくならないように、色合いもとても気をつかいました。産科のテーマは“愛”です。外来に「空の国から…」という赤ちゃん天使の物語と6枚の絵を描き、個室全室に一枚一枚メッセージをつけて絵を設置しました。
 1年半の間、この仕事を通して、私は学ぶことばかりでした。最初は病院に入院してくる子供達はかわいそうだ…という気持ちが強かったと思います。でも、命いっぱい生きて日々遊びたくて、お母さんは強くてでも弱かったりもして、それでもまたがんばって笑っている。病気の子供を持つということは、その経験を通して、母として父として、愛するという素晴らしい力を身につけられているのだということに、最後の最後に気がつきました。一生懸命、看病した子供さんが逝ってしまう時、お母さんは子供さんに向かって「ありがとう」とおっしゃられると、ある看護師さんが私に話してくれました。その話を聞いた時、私は心底感動し、とても励まされる思いがしました。
 小児科、産科どちらも命の輝く場所です。私はそんな場所に絵や作品の仕事をさせていただくことが出来て本当にありがたい気持ちです。そしてこれからも何らかの形で色々な応援をさせていただけたら幸いです。絵描きとして母として。

−私たちのなかの子どもへ− (16) 久保理子

「イルカの家」
(著者:ローズマリー・サトクリフ / 絵:C・ウォルター・ホッジズ / 訳:乾侑美子 / 評論社)

 R・サトクリフといえば、英国を舞台にした歴史小説の名手ですが、この『イルカの家』は異色といわれ、歴史ものが苦手な方でも、すんなり入ってゆける珠玉作です。16世紀の英国、ヘンリー8世の時代。ロンドンの下町で生きる鎧(よろい)作りの職人一家のもとへ新しく加わった遠縁の少女、タムシンが主人公です。細やかな生活描写と史実を織りまぜながら、子どもたちの成長や人間模様を描きます。”まるでその場にいるかのような”一体感に浸って読みました。まさに、浸りきってしまったのです。
 タムシンは内気で、田舎で親がわりだったおじさんへの懐かしさもあり、なかなかロンドンの暮らしにとけ込めません。職人一家は彼女を配慮して受け入れてくれるのですが、それでも、一気に心を開くことはできなくて、独り苦しみます。船乗りを夢見る息子ピアズとの間に共通の魂を見出してから、タムシンは新しい世界へ踏みだしてゆくことができるようになり、ロンドンの生活を楽しみはじめます。
 センセーショナルな事件や大冒険がなくても(夢想はしても)、世の中に根付いて生きてゆくことが、どんなに価値ある宝であり冒険となりうるか。タムシンたちを見ていると、私たちに与えられたギフトのことを想います。読みながら、タムシンやピアズの抱えた想いが周囲に受けとめられてゆくのを共に喜び、共に泣き、生活のあれこれを楽しんでいる”私”に出会えることでしょう。

ラーラ

 米英軍のイラク侵攻から3月20日で丸2年。イラクでは、国際法で使用禁止になっている劣化ウラン弾やクラスター爆弾をはじめ、人間が蒸気となって瞬時に消えてしまう新型兵器まで使われたようです。そんな状況、60年前の日本に似ていませんか? ウラン型原爆が広島に、プルトニウム型水爆が長崎に、世界で初めて使われたのです。当時の新型兵器の実験場だったのですね、日本は。
 そんな戦争に日本が加担しているのは憲法違反だとして、全国9カ所で自衛隊イラク派兵差し止め訴訟が進行中です。そのうち、高知県民も50人ほどが原告になっている名古屋訴訟の弁護団事務局長による講演と、『爆弾を落とされる側』の写真展とビデオ上映が、このほど高知市民図書館でありました。イラクの人々は、人道支援をうけるだけの弱い存在ではないのです。戦争によって失業した人々の団体や、今こそ自由に生きる女性の権利をまもる団体や、宗教のしがらみを超えて連帯する団体が、力強く活動を始めているようです。
 もともと、イラクの人々は教養もあり、日本の史実をよく知っていて「広島、長崎から復興した日本人」に親しみと尊敬をもちつづけてきたそうです。それだけに、失望されたのでしょうか。米英軍の応援はしてもイラクの人々には役立たず、宿営地にひきこもり状態の自衛隊に対して、今年1月の世論調査では、サマワの8割の人々は撤退を望んでいるそうです。
 一方、自衛隊に多額の税金を投入して黙っている、私たち納税者の誇りは、いったいどうなるのでしょう?
参考:自衛隊イラク派兵差し止め訴訟の会
Ken

 写真を撮っていると写真のリアリティーとこの世界の現実との関係はどのように整合するのかという問題をつねに考えさせられます。小説や映画によく取り上げられるモチーフに動物園型あるいはプラネタリウム型世界があります。ジョージ・オーウェルの「1984年」や数年前の映画「トゥルーマン・ショー」などがその典型です。この世界が私たちが考えているような普遍的、客観的現実ではないという物語の系譜、その極め付きは映画「マトリックス」でしょう。
 私たちはありとあらゆる世界の事象を図像や写真に記録し、その複製を外的世界であるプラネタリウムの円蓋の内側に貼り重ねてきました。それらは天空の星辰はもちろん、地上の景観、人間の活動から動植物の生態や植生、微視的なミクロの粒子まで万象が網羅され、それらのコピーによってその全てを十重二十重に覆い尽くしており、もはやオリジナルの風景の構成物質に直接触れることも見ることもできないほどです。のみならず私たちの精神の形而上の問題や、眼に見ることの出来ない極微の物質とその現象などは言葉や数式、記号の形での象徴でしか存在していないかのようです。
 私たちは自身の実体験による学習よりも、図像や文字による図書、写真や映像、いわゆるメディアから間接的に得た知識や、学校、社会からの教育による学習、つまり伝聞による知識がほとんど全てを占めているのです。写真はいかなる場合も確固たる現実を写すのでは決してありません。レンズの前のつかの間の事象を記録します。その事象の記録は後に何らかの恣意的な選択によって確固たる現実に格上げされるかのようです。19世紀中葉、ヨーロッパにおいて機械文明の黎明期に、大量生産と大量消費の双方を担う労働者=市民層の台頭にシンクロした写真術は、絵画と異なりインスタントに細部に至るまで完璧な細密さで事象を記録することができ、絵画ではなし得なかった節操のない安直な自由さで、プチ・ブルジョアたちの好奇心の向くままに世界を切り取り映像を定着することができたのです。感光材料の発明以前にはこれほど人口に膾炙したメディアはありませんでした。現代ではテレビジョン、自動車に次いで、携帯電話の空前の普及がありますが、これは空間距離を無くし、伝達時間を事実上ゼロにするだけでなく、特定の相手の耳元でささやく密話にも似た個対個の極端な選択性を持つ映像、言語メディアです。人は何故これほどまでに外界の事象の記録とコピー、その収集と、保存、頒布に熱心なのでしょうか。これらのメディアは私たちの言語システムと同じもので、ややもすれば崩壊し、溶解しようとする既存の現実、しかもほかならぬ自分自身も生きていかねばならないこの現実世界を固定し、共有あるいは独占し、強化保守しようとする熱意、または強迫観念に他なりません。
 単なる事象の記録や感性によるとされる表現をアートの側から見ると、それは芸術の創造ではまったくありません。なぜなら自然の事象はすでに開示されたものであり、感性は情緒と同様に表現者自身が内包する欲望に根ざしたものだからです。芸術は自然を下敷きにしたものであっても、何かを付加したものでなければならないのです。それは自然の開示に対する知的解釈とも言うべきもの、思想性あるいは智のエートスといわれるもので応答すべきであろうと考えます。さらに言えば、芸術作品を、あるいは人為を、自然が模倣して事象が展開する、といえば奇矯に過ぎるかもしれませんが、現代から未来ではそれほど奇異なことではないのです。昔時において事象の変転は時間軸に沿った因果律の枠内での確率と偶然に支配されていただろうと考えられます。いつの時代から人間の意識に対する事象の従属傾向が見られはじめたのか興味あるところですが、自然は人間の芸術表現を敷衍することで因果律にとらわれない進化を果たすことが出来るのでしょう。いずれにしても今やこの世界における事象の推移は我々人類自身に係っているわけです。宇宙は、赤い血と肉をもつ生きもの、悩み多くかつアートもすなる私たちと E.T. を必要としているのです。