今日は娘がはじめて幼稚園に行く日。重い曇り空が私の心配な心にのしかかるように雨を降らせている。何日も前から「かりんちゃん、おようちへいく。かばんもって。」と言っていた娘と「お幼稚へ行こうね。でも、おかあさんはいないけど大丈夫?」「うん」というやり取りを何度となくしてきた。1歳10カ月。この1年10カ月の間、私にとっても娘にとってもはじめての事ばかりだった。失敗に大笑いしたことも、行き詰まって一緒に泣いたこともあった。毎日、一緒だった。そんなことを考えながら車で幼稚園へ送って行った。やさしい先生にむかえられ、大泣きする園児をボーゼンと見つめる娘をおいて、小降りになった雨の中、車へと駆け込んだ。私は、おかっぱ頭で立ちつくした娘の後ろ姿が目に焼き付いていて、車を走らせながら少しだけ泣いた。そう子育ては始まったばかり。これから私たちにとっての、はじめてが何度もやってくるだろう。こんな色々な経験を与えてくれる子供と神様に感謝しつつ、この場をかりて面白い話が書けたらと思っている。皆様どうぞよろしくお願いいたします。
小笠原まき
さて、第一回目の話題ですが・・・。子どもの発達について少し。ある本に子どもの発達は子どもの願いが原動力になっておこるというようなことが書いてありました。同じようなことが今、学校でおこっています。おしゃべりの内容はわかっているんだけど、おしゃべりが苦手な子どもさんがいました。あるとき、私の方を見て「せんせ」って呼んでくれているよな声がしたので、「え?今、せんせって言ってくれたの?うれしーーー!!もう一回よんでよ」て言うとその子は、一生懸命「せんせ」と発音しようとしていて、確かに「せんせ」って聞こえるのです。あんまり嬉しいのでまわりの先生に言うと、教師というものはうれしがりなので、かわりばんこに、「今度は○○せんせって言ってみて」。「こんどは△△先生って言ってよ。」と、もうたーいへんです。そんなことがあって以来その子どもさんは、名前を呼ぶとみんなが喜ぶことがわかって一生懸命友達や周りの人の名前を言おうとして、発音できる言葉が少しずつ増えてきました。 何かができるようになるとうれしいものです。その喜びを共感してくれる人がまわりにいると、うれしさも倍になるのかもしれません。 そしてそのうれしい気持ちは次の発達への大きなバネになるんじゃないかなあと思いました。
カノン
店の庭で青々とした芝生のような所を見つけた。よく見ると干していた小麦を子供さんが振りまき、それがこの雨で一斉に芽を出したのだ。「うあ〜すごい」と娘と小さな感動。「ね、やっぱり芽の出る食物は力があるのよ。白米より玄米がいい筈よ」とへんに威張ってしまった。自然から改めて教えてもらった思いだ。 草食動物の牛に肉を食べさせた結果、狂牛病を生み出したのが人間。何を食べていいのか区別がつかなくなっているのでは…。その上、農薬、添加物、化学調味料づけで次世代の子供たちのことが心配。 店でバイタルチェック(テレビ画面に自分の血液を映す)をしてもらっているが、毎回興味深い結果がでている。食事に気を付けている人は赤血球が元気で血液サラサラ。何でも食べている人はドロドロ。血液は正直者でした。
和田佐知子/うれし屋
仁淀川の水中こいのぼりが初夏を告げたかと思うと、早くも6月です。土佐和紙に、手描きで「こいのぼり」を描いてはどうか、やってみよう!ということで去年から造形教室にお願いしている、スタッフのお手製「こいのぼり」。たくさんあったけれど、皆里子に出て行きました。今年は、手漉きの紙にこだわって、けっこう原価の高い(お買得)こいのぼりに。土佐の紙の種類や特性を伝える良い機会なので、ぎりぎりのところまで造形教室にもムリをお願いしてしまいました。かつれつ亭で泳いでいるのをご覧になった方もいらっしゃると思います。高松のデパートでの物産展でも元気に泳ぎましたよ。
子供ができてから、めっきり機に向う時間が減った。1人目の妊娠中には知的な感覚は鈍り、人間(動物)の本能であろう「生命をはぐくむ」ということに集中したい自分を感じていた。3人目を妊娠8ヶ月の今は、制作意欲はわくものの、今度は体がついていかない。少し織っては休憩に家事などをし、また織る。そんな毎日で一日に織れる時間はわずかだが、私にとっては自分自身に向き合うかけがえのない時間となっている。 これからまだしばらくは子育て中心の生活が続くが、子供にとっても、遊びに夢中になれる時間を大切にしてあげたいと思う。そして、自分と子供がお互い心豊かになれれば、今後の制作にも生かせると願っている。
野町 佳代