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Silent Song」 7月・個展出品作品・大阪信濃橋画廊
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「Silent Song」とこれまでの私の作品について





 私はこの30年に渡って様々な素材を使って、多様な表現を続けてきました。私が生まれ育った高知は日本の西南に位置し、大平洋に面した海と山に囲まれた温暖で自然豊かな所です。

 私が作品に使ってきた素材は、木や竹や紙など多くがこの高知の土地で産み出されたものです。

 まさに自分が、生きている同じ時と場所を、共に生きている素材です。私にとってそこに、それらの素材を使って制作する必然があります。そして、私という存在が、長い人類の歴史、あるいは、それ以上に生物としての命のつながりの中で生かされているという想いを強くもっています。この考えの延長線上に、今に至る多様な作品が存在すると考えています。

 1983年のPOSITIONでは、木の枝で形作られた恐竜と、その脅威から身を隠す小屋のようなものが見られます。私にとって恐竜とは、人類以前にこの地球上に存在したとても魅力的な生物で、現在彼らが絶滅してしまったことに、人類の未来を重ねあわせて、関心をもっています。1980年代には繰り返し恐竜を制作していますが、1982年には竹による大型の恐竜(長さ10m以上)を制作しました。このシリーズは、その後1999年まで6回繰り返し様々な時と場所に出現させることができました。さらにこの竹を使った制作は、人型の作品TAKEHITO(1983)へと発展しました。

 一方、木を使った作品の方は1985年のPOSITIONのように、ストーリーをもったものに変化し、1988年のCERBERUSで、その一応の完成をみます。一方、1985年のANIMALのように野外での大型の作品制作もあります。

 1980年代では、このような木や竹を使った制作を主にやってきましたが、1990年代に入って、素材としての和紙に注目するようになり土佐和紙を主に使うようになりました。最初は、パルプ状の紙を使った1991年「未来の記憶」のような制作をしていました。その後、1995年の高知県立美術館での作品にみられるように、和紙を使って植物や動物のイメージが展開されてきました。

 この作品「ここではないどこか、今ではないいつか」から、イメージの内在化がおこり、ストーリーが始まりました。1949年生まれの私にとって、20世紀の末に作品を作り続ける意味は何かと絶えず、自分自身に向けて問いかけてきました。

 1996年の「記憶」には原初のイメージがあります。その中心部の場所が特別な祝福される場所として、設定されています。1996年の「沈黙」から人型による表現が出てきます。そして、「The Story of Rat Land」の物語が紡ぎだされることになりました。この物語に登場する「ねずみ」や「Mother」、「抵抗者」「時の使者」「救済者」などは次々と具体化され、実体として現れてきました。これらの物語の中で、私達の生きてきた時代が決してよりよき選択の結果ではなくて、むしろ、どこかで間違ってしまった愚かな時代ではなかったかということを、考えてきました。そして、これからさらに21世紀を生きるために、より深い反省と次世代に向けてのメッセージを送り続けることが必要だと考えています。

 さて、今回の作品「Silent Song」について話をします。これについては、少し説明が必要だと思われます。

 私が生まれ育った日本では、山と川と海が近くて、雨もたくさん降ります。そして、山に降った大量の雨は、川の急流となって海へと流れていきます。

 古来、日本人は「すべてを水に流す」という考え方をしてきました。それは様々な災いや祭り、祈りなどの時、それに関係する品々に思いをこめて川に流していました。

 そして、人と人のいさかいや、わだかまりなどの感情もまた、「水に流す」ということでおさめる考え方をしてきました。つまり、それは「リセットする」ということです。

 しかし、現代の私達の生活では、もうそのようなことは不可能です。自然の浄化作用では追いつかない程の環境汚染が進み、今や決して川にものを流してはいけないような時代になりました。

 私が子供だった頃、可愛がっていた犬や猫が死ぬと、近くの川に「流し」に行きました。それは死体を捨てるのではなく、葬る意味の行為でした。そして、時には、子供の成長を祈って、人形を舟にのせ、川に流すこともありました。そのように、現実を生きる私達の身がわりとして、紙片や人形が流されたのです。

 この過去の風習にみられる「現実」と「あの世」を結ぶ船出を、作品として表そうとしています。私達が失ってしまった、たくさんの命と大切なものをもう一度見つめ直して、そこから、再生のシナリオを紡ぎださねばならないと考えています。

 21世紀は、私達の時代に、破壊してしまった地球と荒廃してしまった人間の精神を、もう一度取り戻すことが、最大の課題ではないかと考えています。

 表現することが、時代に対して発言することでありたいと願ってきましたが、今こそ救われない魂の暴走をくいとめ、人類の未来を取り戻すことが急務であると考えます。



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