私は日本で嫁と呼ばれる立場にあります。それは個人と個人の結びつきである結婚に、日本の家制度が組み込まれているためです。しかし、そのこと自体、悪いことばかりではないと思うのです。
家制度は、その一族の歴史を継続させることができます。現在を生きている私たちは、今は死者となっている前の人々の残していった生活の様々な品物や風習、価値観、それらを合わせて家風とでも呼べるようなものを、それほど強く意識せずに受け継いでいます。そして、それらはまた次の世代へと手渡されていくものです。この延々と続く文化の伝承の一コマとして現在の私たちが存在しています。
私たちの果たすべき役割は過去のより良き物と心を、私という個人のフィルターにかけ、よりわけ、また次に伝えていくのです。まるで永遠に続いていくリレー競争のランナーのように今受け取ってこの手に握りしめているものは私たちの命です。このバトンを落とさず次のランナーにうまく手渡さなければなりません。このように考えてくると、この私たち一族の物語は単に一つの家族の話ではなく、さらに地域、国、さらに世界全体へと拡がっていくことになります。誰もが単なる根無し草の個人の歴史だけで生きるわけではなく、一人の一生の中に多くの過去の命が投影されているのです。さらに嫁という立場では、遺伝子的には実家、社会学的には婚家という、二つのリレーのメンバーとしてこのレースに参加していることになります。
このように考えてくると、日本の家制度における嫁の立場も、そう悪いものではないと思えるようになりました。