(22) 聖地プシュカル チュンズ

 1月末の買い付けは、前述したように飛行機の12時間の遅延によって1日目ですでにくたくたになってしまったが、その後はジャイプルの取引先を効率よく巡り仕事をし、日本へ商品を送る段取りもついて、後半余裕が生じた。
 そこで、以前佐川のサード・アイの文さんに勧められていた、「プシュカル」へ行ってみることにした。
 プシュカルは、イスラム教の聖地アジメールから山をひとつ越えたところにあるヒンドゥー教の聖地である。ブラフマー神を祀ったお寺があり、小さくて静かで穏やかな町で、プシュカル湖には52のガートがあるらしかった。毎度持参している「地球の歩き方」によると、1泊300ルピー(600円)で泊まれる宿もあるようなので、これはいっちょ行くしかないと思って28日の夜、急遽旅支度を整えた。
 ジャイプルのゲストハウスを後にし、シンディキャンプのバススタンドからアジメール行きを探して8:15に乗りこんだ。キップは160ルピーだった。ジャイプルからアジメールまで、だいたい3時間くらいで付くはずだ。途中車窓からの景色を眺めたり、乗り込んでくるチャイワラから1ルピーでチャイを買って飲んだりしながら、10:40にはアジメールのバスターミナルに着いた。プシュカル行きの小さなバスに乗り換えて、10:50に出発。車内にはちらほら外国人旅行者の姿も見かけた。キップは18ルピー。ここからあと30分くらいだろうか。リュックを背負って旅バッグをガラガラ引きながら地図で何とか目星をつけていた宿を探し当て、荷物を置くや否やおもしろいものはないかとサダル・バザールを散策に出かけた。今回はお腹も壊さず元気なのが何よりだ。
 センスのよいシルバー屋さんに巡り会って、いくつかの作品を購入。馬革のバッグも交渉してふたつ買った。夜には、見たことのないくらい大きな満月が出ていた。翌日はジャイプルに戻らないといけないので、早起きして湖へ沐浴する人たちを見に行った。屋台で‘プォーハー’というめちゃくちゃ美味しいサフランライスに似た食べ物を食べた。12:00に宿をチェックアウトし、14:00発のジャイプル行きのバスに乗ることができたので、帰りは乗り換えが必要なかった。
 ジャイプルに着くと予約していたはずのホテルがとれておらず、ここでまたトラブルかと思ったけれど、近くのホテルを紹介してもらうことができた。
 2月1日、デリー行きのバスの中で帰りの夜中の便の日付けを1日遅く勘違いしていることに気づいてそのまま空港に直行するなど、今回もいろいろあったが、帰国してからこれまでの旅の中で一番素敵だったのではないかと思った。
 4月末に行ってきた青い町「ジョードプル」の話はまた機会があれば。

15. 着るもののこと 都築房子

 現在、私たちは服を買う時、町の洋品店や各種のショップへ行って、たくさん陳列されている中から好みのものやサイズの合うものを自由に選びます。しかし、私の子ども時代にはそのような店はまだほとんどなく、服といえばまず服地を買うことから始まります。生地屋さんに行き、そこで必要な寸法の生地を切り売りしてもらい、それを縫ってくれる人を探し、そこでデザインを決めて注文するのが普通のやり方でした。縫う人はプロの人から隣のお姉さんのようなアマチュアまで様々で、デザインといっても古くからある雑誌の中から適当にこんな感じでといったようなやり取りで決めるので、出来上がった服は子どもながらもいつも期待していたのと違うという印象を受けていました。同級生の子が、お母さんが裁縫が得意で、いつもちょっとかわいい服を着せてもらっているのをうらやましく思っていました。気軽に新しい服を買って、どんどん使い捨てしている現在からは考えられないような時代です。服を新しく手に入れることはとても大変で、ずいぶん前から心づもりをして、ちゃんと間に合うように手筈を整えておかなくてはなりませんでした。小学六年生の修学旅行の時に着て行った服もそんな経過で母があつらえてくれました。(当時は、既製服といって出来上がった服も少し売っていましたが、それらは低く見られていて実際まだ粗悪なつくりのものが多かったようです。)
 毛糸のセーターなどは子どもの成長に合わせて、毛糸を買い足したり、いくつかの小さくなったセーターの毛糸をほどいて合体させたり、絶えず編み直して着るのが普通でした。更に私の祖母がそうした編み直しでできる小さな毛糸くずのようになったものを捨てずにつなぎ合わせて、下に着るチョッキを編んでくれましたが、それは余りにもゴチャゴチャに色が混じり合っていて着るのが恥ずかしかったことを今では懐かしく思い出されます。当時はどこの家でも冬支度に毛糸をほどいたり束にして、湯通ししてのばし、竿にかけて干して、それをまた毛糸の玉にするような作業をしていて、子どももお手伝いをさせられました。
 現在のネットやカタログ販売のように、実物すら目にすることなく多くの情報の中から服を選んでいくような時代において、子ども時代に身近な服が多くの人の手をリレーして作り上げられている様を目にしてきたことは、とても良かったと思っています。それは私のものづくりの原点になっているように思われます。