ラーラ

 高遠菜穂子さんが来高、「世界で何が起きているかもっと関心をよせてほしい」と訴えました。企画したのは、高知大生を中心とした若い世代です。高知の若者はなかなかやる!と感激です。
 昨年4月三人の日本人がイラクで拘束されたとき、政府は「自衛隊はイラクから撤退させない」と言い、命を奪われたとしても「自己責任だ」と言ったので、高遠さんは解放されても日本中からの嫌がらせに自殺を考えるほど苦しみ続けたそうです。そんなとき、お母さんが泣きながら「このままではあんたは一生ダメになる、前のように活動を続けなさい」と背中を押してくれたので、イラクの現状を米国で訴えたあと、昨年8月から再びイラクに入り、ストリートチルドレンの保護、医薬品を病院に届ける活動など再開しました。いま、彼女は、信念と希望を語るたくましく美しい人間として壇上に立ちました。 
 米軍はいまも、ジャーナリストさえ追い払い、イラク人を辱め、大規模な殺戮をし続けています。戦車で民家が押しつぶされたり、検問所では米軍の「待て」というサインはイラク人には「こんにちは」であり、威嚇しようと空に発砲するのはイラク人には「おめでとう」なので、たくさんの人々が撃ち殺されています。米軍に理由もなく連行されたファルージャの男性たちは、米軍が10万袋準備したという黒い遺体袋の中で、ウジまみれの腐乱死体となって返されました。
 私たちの無関心と、アメリカに追従する日本政府のありかたを黙認する態度が、虐げられて人々を絶望させ、ふつうの農民に武器をもたせ、あるいはテロリストを育てているのではないでしょうか。
 世界中で起きている理不尽なことにもっと関心をよせ、そして、この時代を生きる地球市民としてどう行動できるか、語り合おうではありませんか。
 11月26日(土)2〜4時には高新文化ホールで、やはり昨年イラクで囚われた若きジャーナリスト安田純平さんが語ります。
−私たちのなかの子どもへ− (24) 久保慧栞

『種をまく人』(著者:ポール・フライシュマン / 訳:片岡しのぶ / 出版社:あすなろ書房)

 エリー湖の向こうのカナダは、こちらからは見えません。でも、「ある」ということはみんな知っています。春も、そのようなものかもしれないわ。きっと来る、と信じて待っているしかないのね。とりわけクリーヴランドの春は、そんなふうです。(本文より引用)

 薄くて小さい一冊の本のなかに、希望の種はたくさん詰まっています。アメリカ北部の小さな移民の町を舞台に、貧しくてお互い交流もなかった住民たちの声が、淡々とつづられ、心を温めます。これが本当のできごとではないとわかっていても、どこの町でも起こりうる変化への種が、読むにつれて芽を出し、育ってゆく、そんな本です。
 ヴェトナム人の少女が空き地に蒔いた豆つぶから、やがて市民のよりどころとなる菜園が生まれ、町そのものが豊かに育ちはじめるなんて、聞いただけでは不思議に思えるけれど。誰かが最初の行動を起こして何かをはじめたとき、それがどんなに突拍子のないことでも、あるいはささやかすぎてそれ自体は消えてしまうようなことでも、誰かが知ってくれたことが大切なのだろうと思います。たとえ一人だけでも、それを見つけた誰かは、心を動かされてしまう。そしてまた、誰かが動くきっかけになるはず。
 心を動かされてしまうという人間の本質に、希望の芽は根を張ることができるのでしょう。たとえはじまりが冬のさなかであっても。

谷口貴子

メディアでは「非常事態宣言」「外出禁止令」などと騒ぎ立てられていたが、パリ市内は比較的問題がなく、いつもより警官の数が多かった以外は、普通に生活をしていた。
今回大きく問題になったのは、パリ郊外の低所得者住宅の密集する団地。通常これらの団地には、低所得者、移民、その二世家族が多く住んでいる。郊外の団地に足を踏み入れる度に、詰め込まれたエネルギーが密集して、出て行く隙間がないと言った印象を受ける。
暴動がピークに達した頃、右派の政治家がここぞとばかりに、不法滞在者や外国人は出て行けというような事を言っていたが、それは見当違いというもの。今回暴れた子達はフランスで生まれ、フランスの教育を受け、フランス国籍を持つ子達がほとんどだから。
暴動が下火になった頃、キオスクでは、火を吹く車の写真の表紙に「犯人は誰だ?」というタイトルがでかでかと書かれた雑誌がおいてあった。
車を燃やした子達は、ある意味犯人ではあるけれど、犠牲者でもある。彼らの将来は、本当に厳しい。
今回の事件を、暴動を起こした子達のせいにするのは簡単だ。
貧富の差、差別、教育問題・・・長い間蓄積していたひずみが、行き場のない怒りが、今回爆発した。
暴動が沈静しても、火の元は消えていない。消えるどころか、ごうごう燃え続けている気がする。