こびとさんの島 都築房子/え・Bun

高知市の北を流れる久万川の中に小さな島がありました。それは、上流から流れてきた土砂が少しずつ長い間にたまってできた中州でした。島にはいろいろな植物がしげり、新緑のみどり、ジャングルのような夏、秋のもみじ、冬枯れの風情と四季おりおりの美しい変化をみせて、いつもそばの土手道を車で走る私たちを楽しませてくれました。ところが、2003年の夏、その島は突然姿を消してしまったのです。これからはじまるお話は、消えてしまったこの島のことを忘れないために作られました。

ある暑い夏のできごとです。
島では、早起きのこびとさんが、いつものように水浴びをしようとしていると、大きな船が近づいてくるのが見えました。
その船には、たくさんの人間が乗っているのが遠目からもよくわかりました。おどろいたこびとさんは、大急ぎで仲間にこのことを知らせました。そして、みんなで急いで地面の下にある隠れ家に入り、じっと息をひそめていました。この島に人間が上陸することは、これまで全くなかったわけではありません。
小さなボートで子どもたちが遊びにくることや、釣り人が一休みにくることはありましたが、こんなにたくさんの人間が上陸して島中が人間だらけになることは一度もありませんでした。こびとさんたちはとても不安で、ドキドキしながら人間たちの様子をうかがっていました。
さて、島に上陸した人間たちはみんな手に手に草刈り機械をもっていて、しばらくすると島中が大きなエンジンの音とガソリンのにおいでいっぱいになりました。バリバリと機械で草が刈り取られていき、お昼頃には、島の表面はへたくそなトラ刈りの頭のようになっていました。
ようやく静かになったのを確かめて、こびとさんたちはぞろぞろと地面の上に顔を出しました。すると、その顔に暑い夏のお日さまがパァーと当たり、みんなびっくりしました。それまでジャングルのように生いしげっていた植物がすっかりなくなっていたのです。
地面に立ったこびとさんたちが見たものは、端から端まですっかり見わたせるようになった丸ぼうずの島でした。
夜になると、まあるい月が上ってきて、丸ぼうずの島を明るく照らしていました。
こびとさんたちは島のまんなかにみんなで集まりました。みんなで輪になってすわり、これからのことを話しあいました。
このまま、この島にずっと住み続けたいというものや、もうこの島はおしまいだというものなど、みんなの意見はばらばらで、あまりのできごとで頭がぐるぐるになっていました。
みんなの意見が出そろったころに、長老のひとりが静かに話をはじめました。
「私たちは、ずいぶん長くこの島にとどまり、毎日楽しくくらしてきた。しかし、ものごとには必ずおわりがある。たぶん今がその時だと思う。この島での楽しかったことはみんなの胸の中で思い出として、決して忘れられることはないだろう。
それを大切にして明日の朝、みんなで出発することにしよう。この島で残された時間はあとわずかだ。大急ぎで船出の準備にとりかからねばならない。」
そのことばに、みんなそうだ、そのとおりだと賛成しました。そして、一晩中かかって刈り残された草の切れ端を集めて、みんなが乗れる草舟を作り上げました。
次の朝、島の輪かくがようやく見えるくらいの明るさになったころ、草舟はゆっくりと島から離れていきました。まわりが明るくなって、いつもの暑い夏がはじまるころには、その島にこびとさんたちがいたことを示すものは何一つ残されていませんでした。
そして、昼ごろになると、大型の土砂運搬船とクレーンやパワーショベルをつんだ船が島に横づけされて、次々と島の土砂が削り取られていきました。その日の夕方には、あっけなく島は完全にその姿を消してしまったのです。
さて、こびとさんたちの乗った草舟はどうなったのでしょうか。川を上流にいって、新しい島を見つけたのでしょうか。それとも、海に下っていって大航海の旅に出たのでしょうか。
でも、私たちはあの島があったことをずっと忘れないでいたいと思うのです。    おしまい
−私たちのなかの子どもへ− (18) 久保慧栞

『親指こぞうニルス・カールソン』(著者:アストリッド・リンドグレーン / 絵:イロン・ヴィークランド / 訳:大塚勇三 / 出版社:岩波書店)

 さびしい思いをしている男の子に、空想の友人ができる――そんなお話はたくさんあるけれど、ファンタジーのなかでは、本当に不思議な世界の友人ができてしまいます。
 そのリアルさは、読んでいる子どもたちにとっても冒険ですが、かつて子どもだった人にとっても、言いしれないなつかしさとともに、それと同じくらいの、かつて経験した「さびしさ」を呼び起こすのではないでしょうか。この本を読むのが初めてであったとしても。
 スウェーデンのストックホルムに住んでいるベルティルの一家は、両親が仕事でいそがしく、まだ6才で学校に行ってないベルティルは、毎日ひとりで時間をつぶしています。ある日、ベッドの下から親指くらいの小さい男の子があらわれて、彼の部屋に案内されます。大きな人間の子どもがその部屋に入るには、壁から出ているクギにさわって、「キレベッピン」ととなえれば良いのです。
 小さな男の子、ニルス・カールソンはすっかりベルティルの友人になり、ベルティルは上の部屋からこまごましたものを運び、ニルスの部屋を住みやすくととのえます。両親にはもちろん内緒です。子どもは直感的にそういう関係を秘密にしますが、これもまた、私たちにとってなつかしい記憶です。秘密に満ちた幼い生活が、いっとき、目の前に帰って来るかのように。

ラーラ

 85歳になった父が、体調をくずして入院しました。あの、真新しい医療センターです。
 山肌に迫る敷地はその広いこと、外来で診察を受けるときも検査を受けるときも、トイレに行くにも、はるばる移動しなくてはなりません。病気の老人にはしんどい道のりですが、車いすをすすめられても、誇りが許さず、父は歩きとおしました。
 空から見ると、東西南北4つの病棟が風車の翼のように、見晴らしよくのびています。個室の差額料金は1日あたり9500円なので、父は4人用相部屋に入院しました。隣のベッドとの間隔が大きく、天井から長いカーテンで仕切られているので、独立した空間という印象はあります。父は「ホテルみたいじゃのう」と気に入ったようすでした。でも、ほかの3人はみながん患者さんのようで、隣のかたは筆談で「木偏に官」を書いて奥さんを泣かせました。退院のとき父は、「うちではできん経験をいっぱいした」と述懐しました。
 自宅では、ここ半年以上玄米菜食をしてきたので、入院当日栄養士さんに「動物性タンパク質は使わないで」とお願いしました。島根県出身の若い栄養士さんは「患者さんの召し上がりたいものを大切にしたいと考えています」という物わかりの良さ。食膳に「肉禁、魚禁、牛乳禁」と明示してくださったのですが、卵もヨーグルトもエビも!出ました。毎日ランチジャーで玄米と野菜のおかずを運びました。
 現状で、一番の問題だと思えたのは、検査予定時刻の大幅なおくれ。老体にきつい検査を午後1時からするというので、昼前には行ってつきそったのですが、夕方5時半まで始まりません。若いナースも「1〜2時間のおくれはざらですが、きょうは新記録更新中ですね」と困った表情。「待ち時間が長いと、患者は“事故でもあったのか”“検査する人の腕が悪いのか”など、考えなくともいいことを考えます」と、院長宛に意見を献上しておきました。「患者さんが主人公の病院」が実現するのは、いつのことでしょう・・・。